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夢は思ったより叶う気がしてきた

ゴールデンウィークは相変わらず楽しく、お友達のお家にお呼ばれしたりした。

 

お友達はお料理とか家を飾りつけたりとかが好きなタイプなんだけどずっと会社が指定した1Rのマンションに住んでいて、「こんな家じゃ人を呼べない」「お料理ができない」といつも不満を言っていた。引っ越したお家はリビングが正方形の1LDKで、革張りの立派なソファがを置いても広々としていて快適だった。

 

「人を呼べる家に住むのが念願だったから来てくれてうれしい」という彼女はとても嬉しそうで、見ているこっちも幸せな気分になった。と同時に自分の家の「人を呼べる家」度の低さに愕然とした。自分の家に3人以上の人を招いたことは引っ越してきたばかりの時一回だけなんじゃないか。

 

間取りが悪いのかもしれない私の家は、同じく1LDKなのにいつも人が来ると落ち着かなさそうにしている。狭いのにカウンターキッチンがあるのがいけないのか何なのか。ソファも多分小さすぎて彼氏以外は隣に座れない感じ。

 

この間取りは完璧だと思ってこの部屋に決めたのが数年前で、見つけた時は南向きの1LDK最高、昼間電気つけなくていいの最高、寝室を寝るだけの部屋にできるの最高と狂喜乱舞していた。要するに「人を呼べる!」かなんて考えもしなかった。

 

振り返るとお友達の部屋は日当たりが悪いのかカーテンのせいなのかかなり薄暗く、「外国みたいで雰囲気があっていいね」と言ったものの私はあの部屋には暮らせないと思った。

 

これが優先順位か、と思う。誰かにとって大事なことが他の人にとって大事とは限らない。私は自分ひとりの快適を最優先したし彼女は誰かと過ごす時間を重視していた。私の家は彼女のようにまだ2歳にもならない友達の子供が走り回ることには全く向かないし、家=ひとりになれる場所、という概念が強すぎて彼氏などが泊まりにくると帰る時間を心待ちにしてしまう。

 

『成功者K』という本を読んでいる。その中に自分は孤独に強いと思っていたけど実は慣れていただけで、人と一緒にいるのに慣れた後の孤独には耐えられない、みたいな一文があった。自分もそうなのかな?と思ったり、今回のように人を招くのが好きな友達の家に遊びに行ったりすると自分は人として欠陥があるのではないかと思いつめたりもする。

 

とはいえ子供がほしい、と10年前から言っていた友達は立派にママになっているし、人を呼べる家に住みたいと言っていた友達がそういう家に引っ越しているし、人にご飯を食べさせたいと言う友達は料理教室に通って集まりのたびに豪華な料理をケータリングしてくれているし、みんな言ってることとやってることはわりと一致している。十年以上南向きの1LDKに住みたいと言っていた自分も今はそういう家に住めているし、イメージすると夢は叶うというのは本当なのかもしれない。そして人の夢を自分の夢と勘違いするのは危険そう。

 

友達によると40代になると自分のことがとてもよくわかるようになるからいろいろなことの判断が楽になるそうで、それまでは自分が何がしたいか分からない状態をあきらめて受け入れた方がいいんだろうし、あとは叶ったらそれが自分の夢だったんだ、くらいのスタンスで過ごしていればいいのかなと思ったりして、あ、でも和食が作れるのはとてもいいことだと思ったので暫定的に自分の目標にしておこうかな。