kate100s’s diary

百野毛糸の日記です。

もう少しでお休みが

早起きは続いてるんだけど、夜寝るのがどんどん遅くなってきている。もうシャワー入って寝なきゃ、と思ってから数時間SNSをぼうっと見て気づいたら1時とか。

 

それでも目が覚めるのは6:30とかで、いよいよ朝型になったのかなと思う。復帰したら出社時間を早めてみようかな、と画策中。っていうか会社かー。来週からかー。あと4日かー。。って考えると暇だ退屈だ言っていたお休みがあっという間に終わってしまうとわかって寂しい。

 

朝起きて、今日何をしようか考えて、考え通りには体が動かなかったり、様子を伺いながら少し外出してコーヒーを飲んだり、の日々が終わってしまう。昨日は術後の診察の日だったんだけど、朝から昼過ぎまで3つの科を回って疲れ果ててしまった。こんなことでフルタイムの仕事は大丈夫なんだろうか、ととても不安。

 

先生に、3週間かけて休んだんだから3週間かけて復帰くらいのつもりでいてくださいね、と言われる。体に脊髄注射をして全身麻酔をかけてお腹を切ったんだから、体の防衛本能も働いて本調子じゃなくなるのは当然です、と。

 

もう3週間くらいになるけど、まだご飯が炊けない。お味噌汁も食べたくならない。冷凍してあったご飯は少しなら食べられるという感じ。打開策を考えた。うな重を食べに行った。

 

近所のうなぎ屋さんに行けたのはちょうど土用の丑の日で、お店の前には人だかりができていた。ひまなのでのんびり並んでいたら「暑いでしょうから」とプラスチックカップで冷たいお茶を出してくれて嬉しかった。うな重はとてもおいしくて、気づけばご飯も完食していたし肝吸いもいただけた。ご飯と汁物を食べられた。

 

お会計の時に1万円札しかもっていなかったのでいつものように「すみません」、というと「え、なんですみません?全然気にしなくていいんですよー。そんなことよりまたいらしてくださいね!」と声をかけられてまた嬉しかった。弱っているからか人の優しさがとても染みるこの頃。

 

1ヶ月前に注文していたソファがもうすぐ届く。今のソファはクッションがへたれてまるで木枠に座っているような座り心地で、私の入院中にお見舞いにきてくれた父がバラしていたんだけど、入院中私の部屋に泊まっていた母が父に「あのソファは座り心地が悪すぎる、なんとかしてほしい」とこぼしていたらしい。お母さんに1ヶ月遅くなってごめんねと謝りたい。

 

入院中憧れの場所だったセブンイレブンに行ってみた。セブンで雑誌を買いたい、と思い続けた数日間があった。昨日行ってみたセブンには買いたい雑誌が見つからず、悔しいので少し若い子向けのファッション誌を買ってみた。インスタ映え特集で勉強になるかも?と思ったけどみなさんのあまりのこだわりっぷりに驚愕して取り入れるのはあきらめた。

 

アラフォー向けの雑誌でもインスタ特集をみたことがあるけど、そこではいいねをもらうためにいいねをしまくるべし、みたいなことが書いてあった気がする。若い子向けの雑誌は、肌見せは肩か背中で、こういう背景/光を見つけたら撮る、ギャラリーにして見た時に適度に緑があるようにする、などなど、プロデュース的な観点で何枚も上手だ。

 

若い人のセンスはすごいな、と思っていたらぼうっと見ていたツイッターで藝大生が作った雑誌の存在を知り、フォローしてみた。クーリエも読み切れるか分からないけどその雑誌も読んでみたいな、と思う。こちらも誰かのツイッターでトマピケティが絶賛したと書いてあったので『貧困の発明』という本も買ってみた。休みが終わったら読み暇とかなくて、なんでこんな3千円もする本を買ってしまったのか、となりそうなのでできるだけこの数日で読んでしまわなくては。だいたい私のパターンは前半はのんびり、後半はいろいろ予定が入って慌ただしくなるな、と思うんだけどこれはもしかしたらみんなに言えることなのかもしれませんね。

阿弖流為〈アテルイ〉と雨宮まみさん

興奮していて何を書いてるかわからなくなってしまうかもしれないけど、興奮しているうちに書いておきたい気もして書くことにする。

 

去年の11月に、ライターの雨宮まみさんが亡くなった。まみさんの書く文章が好きで、まみさんが紹介してくださったものを買ったり観たり試したりしていた。ニュースを目にしたときはすごくショックで、でもそんな感情を共有できる友達がいなかったからひたすらツイッターやブログを検索していた。

 

まみさんが紹介してくださったものは素敵なものが多かったけど、全部を取り入れたわけではなかった。その中で唯一観に行こう、としては毎回直前に何かが起きて観に行けなかったのが『阿弖流為アテルイ〉』だった。

 

確か亡くなる少し前の夏頃、まみさんはツイッターでこの映画?舞台?の上映を何度も告知していた。告知というより、今日も観た!素晴らしかった!みたいな内容だった気がする。リンク先を観て、歌舞伎か、私向きじゃないな、とスルーしていたんだけど、あまりに頻繁におすすめされるから観てみようかな、と思って、でも機会に恵まれなかった。

 

今日は午前中ずっとだるくて横になっていて、お昼頃から調子がでてきたんだけど痛み止めが完全に切れてしまいお腹が痛くて、気を紛らわせようと映画館の情報を検索したらなぜか一番上に阿弖流為アテルイがでてきた。どういうアルゴリズムだったんだろう、全然分からない。

 

シャワーを浴びて、お昼ご飯を食べて間に合いそうだったら行ってみようと思ったらちょうどいい時間からの上映だった。内容もろくに知らずに劇場に向かった。

 

まず度肝を抜かれたのは上映時間の長さで、最後まで観られるか不安になったけど徐々に徐々に引き込まれていった。最後は登場するみなさんの美しさに息を飲んだ。始まりとラストで顔つきがどんどん変わっていく。演技ってすごい。動きがすごい。完全に圧倒されて劇場をでたらもう18時を過ぎていた。

 

座っていただけなのにものすごい運動をした後のような気分になり、うどん屋さんでアボカドうどんを食べた。出演していた役者さんのこと、雨宮まみさんのこと、衣装のこと、女形のこと、雨宮まみさんのことを交互に考えた。

 

またひとつ雨宮まみさんのおかげで興味を持った分野ができた。歌舞伎はまだハードルが高いけど、今までよりも少しだけ興味がでてきた。雨宮さんの著作を全部読んだわけじゃなくて、全部読んでしまうのがちょっと怖いのもあって手をつけていない本がいくつもある。もちろん、書いていたことに全て同意していたわけでもない。それでも、訃報が流れた後、いろんな人のツイートを読んでいた時に、誰かが書いていた「読んでいるのはこっちなのに、聞いてもらっている気分になる」感じは他の人にはない気がしていて、この喪失感はまだまだ大きい。

 

私は雨宮さんがいない世界を生きていかなきゃいけないんだな、と思う。40代になったまみさんが書いてくださるものを読むことはもうできない。それでも、気に入ったものは全力でおすすめするとか、そういうまみさんから学んだことを受け継いでいくことが、ファンとしてのあり方なのかなという気がして、本当にまだ圧倒されていて何書いてるかよく分からないと思うけど、阿弖流為アテルイはすごかったこと、それをあの熱量でおすすめしてくださったまみさん、今回もありがとうございますっていう気持ちを、残しておきたいと思いました。あとは、出会うべきものは何回逃してもまたチャンスはやってくるのかもしれない、みたいな感覚も。大げさだけど、今回の手術がなかったら療養もなくて今日の観劇もなかったかもしれなくて。点と線。

遅ればせながら課金アイテム

朝も早よから、クーリエ・ジャポンの会員になってしまった。Facebookで流れてきた記事がどうしても最後まで読みたくて、今月だけでもいいや、と思って申し込んだら一月980円。高い気もするし安い気もする。ちゃんと読めば安くも高くもないんだろう。

 

自分の興味関心の対象がとても狭いことを常日頃から懸念していて、入院をきっかけにしばらく新聞をお休みしたこともあり、世の中から取り残される不安があった。紙の新聞は、本当に本当に読まずに捨てていたのでもう退会してしまうかも。

 

今の情報源は主にツイッターになっている。問題は、自分の興味のある記事しかフォローーしていないので流れてこないし流れてきてもクリックしないことで、これはクーリエも同じことになるかもしれないんだけど、とりあえず試してみる。

 

具合があんまりよくないとき、でも眠くはならないとき、寝っ転がってスマホ画面を見ていることが多いのだから、そのシチュエーションで読めるものが多い方がいいのでは、と思った。今はそういう時間が長いので、完全にコンテンツ不足で、しまいには知らない人が日常をつぶやいているツイートを延々と見ているときがある。ただ、そういうモードで世界情勢について読む気がするのかはちょっとまだわからない。

 

ぼうっとテレビを見ていると松居一代船越英一郎夫妻にどんどん詳しくなってしまう。元夫がパーソンズの社長だったなんて知らなかったし息子の友達とチーム松居を結成していたのとか特に知る必要はなかった。

 

これを向上心というのかわからないけど、とにかく視野を広げておきたくて、そのための投資はいくらしてもいいと思っている。紙のクーリエは何度か買って、数ページしか読まずに放置してしまったけど、スクリーンからはちゃんと読めるといいなと思う。活字中毒だった20代の頃は、買って読まない本や雑誌があるなんて想像もしなかったな。

 

クックパッドといい、クーリエといい、今年は私にとっての課金元年だ。最近気になっているのが、遅いんだけど、本当に遅いんだけどNetflixとかHuluで、流行っているのは随分前から知っているんだけど、最近会って話した人のほぼ全員がそういう有料配信サービスの会員となっていて、みんな海外ドラマを夢中になってみていた。ツイッターを眺めているおかげで内容は知らないのに題名はだいたいわかってしまった。課金サービスが苦手なのは、入会して活用しなかったら?ということに尽きるんだけど、これは私の得をしたいより損をしたくないというポリシーに基づいている。観るものにお金を払うのは金額を問わないけど、払っておいて観るか観ないかわからない感じに二の足を踏んでしまう。概念として、オンデマンドが好きだなー。。クリエイターにも報酬がいくし。

 

今のところ有料配信サービスには加入していない。Kindleアンリミテッドにも、アマゾンプライムにも。無料で膨大なセレクション、と言われた瞬間に、自分が最も重視する「読む/観る気がしない」という繊細な感情が発動するかもしれないから。

 

こんなことでは『超AI時代の生存戦略』的に時代遅れなのかもしれないけど、まだ使いかたがよくわからない言葉:「エモい」ことだけをやればいい、という観点からいくと、吟味した観たいものだけに対価を払って鑑賞する、というスタイルは理にかなっているともいえる。

 

今回のクーリエの記事は、この2本の記事に980円払ってもいい、とぎりぎり思えるくらいの投資で、でも他にもいい記事があるはずだからとりあえずなるべく読んでみようと思う。新聞に変わる、プッシュ型の情報源として自分の中に定着してほしいな。

早く起きた朝は

退院してから、毎朝6時に目が覚める。今までは8時に起きるのも至難の技だったので2時間得した気分で午前中がとても長い。

 

朝起きたらすぐコーヒー派なので、起きたらすぐに朝ごはんを食べている。ここ数日で気づいたけど、朝6時にパンとコーヒーの朝食をとると、11時にはお腹が空いてしまう。

 

今日はパンとコーヒーだけじゃなく、スクランブルエッグとベーコンも食べてみた。痛み止めの時間があって、12時頃昼ごはんだとちょうどいいから。

 

痛み止めといえば、これ本当に効果あるのかな?のフェーズに入った。痛い!!!という段階を過ぎて、ちょっと違和感が?くらいになってきた。なにしろ1日4回もあるのでたまに飲み忘れそうになってあわてて飲むことが増えた。

 

いろんな好き嫌いがあるんだけど、痛み止めという概念があまり好きじゃなくて、痛みを元から解決することは全力でしたいけど、結果として生じる痛みを散らすのは二の次な感じがしてしまう。でも今回の入院で繰り返し説明されたのは、痛みを我慢するのは百害あって一利なしで、医療の力でコントロールするのが早期回復への道なのだ、という。一旦感じた痛みはその後も続いてしまうから切れ目なく痛み止めを飲み続けるのがコツ、とか。

 

筋腫をとるくらいだから生理痛はいつも重かったんだけど、それでも痛み止めより午前半休を選んでいた気がする。未開人みたいな言い方をすると、脳をだます感じが好きじゃなくて。

 

とはいえまだ退院から1週間も経ってないから、せめて来週前半までは規則正しく飲む必要があるんだろうな。一旦痛み始めた時のダメージは確かに怖い。

 

入院中はああ家に帰りたい、家に帰れるなら1日ベッドで寝ていても文句は言わない、と思っていたのに、帰ってきて1週間ほどで不満だらけになってきた。毎日読書をして散歩してたまに映画をみて、の数時間の外出。後は横になったりご飯を作ったりの日々は単調で退屈でもうしんどい。しんどいからこういう生活を送らせていただいているんだけど。。電車に乗って出かける自信はまだないし、そんなことができるならもう働いてるし。

 

単調がつらい→何かしたい→体力がなくてできない、をぐるぐるして、結局あきらめてアマゾンで本を買って読む。『往復書簡 初恋と不倫』がすごい本だった。明日ゆっくり読もう、と思っていたのに開いた瞬間から引き込まれて読み切ってしまった。こういうの困る!好きなセリフが多すぎて一つも覚えられなかった。舞台みたかったな。酒井若菜高橋一生とか最高だっただろうな。さあ今日は何をしようかな。

『20センチュリー・ウーマン』、初コムデギャルソン、初ポール・アンドリュー

最高の1日から一夜明けた。入院中ずっと観たかった映画を観て、行く途中にふらりと入ったお店で次々に素敵なお洋服に出会った。

 

お腹の傷のことがあるから今年の夏は主にワンピースしか着られないな、というのがあって、偶然去年から今年にかけてなんとなくワンピースを買っていたので退院後のお洋服に困ることは特になかったんだけど。

 

コムデギャルソンが日本はもちろん世界で評価されていることは知っていて、コレクションの動画とか、川久保玲さんのインタビューとか、ニューヨークのMETの展示が気になったり、観入ってしまうんだけど自分とは遠いブランドだと思っていた。20代で残業代のほとんどをお洋服につぎ込んでいた時代も、なぜか一度も着ることもなく今の年齢になっていた。なんとなく自分向きじゃないのかも、という気がして。

 

そのワンピースは生地が斜めにパッチワークされたネイビーのAラインワンピースで、ぱっと見は正直サイズが大きそうだな、くらいの感想しかなかった。いかにもコムデギャルソンぽいな、という感じの構築的なスカートの方に興味があった。スカートは可愛かったけどやはり自分向きじゃない感があって、試着だけでも記念になったな、位の感想しかなかった。次に着たのがネイビーのワンピース。

 

試着して鏡を見て感動した。ラインがものすごくきれい。何をどうやったらそうなるのかわからないけど、上半身はほっそり、下半身はゆったりなんだけど全身のスタイルが最高によく見える。魔法みたいだった。着た瞬間からもう脱ぎたくなくて、店員さんに「スカートの時と表情と反応が全然違いますね!」とからかわれた。初コムデギャルソンはいいお値段したけど、このワンピースは着るたびに高揚感を味わえそうで、入院手術がここに導いてくれたかと思うと運命すら感じる。

 

興奮でぼうっとしたまま歩いてルミネのセレクトショップにたどり着いた。そこで一足の美しい靴を見つけた。先日一目惚れをして以来セレクトショップとネットで情報を調べてばかりいたブランド:ポール・アンドリューのもので、それだけでもテンションが上がったのに、店員さんによるとこのお品は50%オフなんですよ、という。試着するしかない。

 

履くのが2度目のポール・アンドリューは案外履き心地がよく、脚がとてもきれいに見えた。履く前に緊張したのか足がつった。普段私は36 1/2を履くんだけど、その靴はハーフサイズ展開がないということ、37は在庫がないことから36をすすめられる。長時間履けますように。店員さんはフラットシューズも持ってきてくださったけど、脚がきれいに見えるのは断然ヒールの方だったので迷わずヒールの方にした。

 

映画の時間になった。マイク・ミルズ監督の『20センチュリー・ウーマン』。ずっと観ていたい感じは『ハッピー・アワー』に似ていて、『ヤングアダルト・ニューヨーク』のことも思い出したり、グレタ・ガーウィグから『マギーズ・プラン』を思い出したりした。エル・ファイングが素晴らしくて、アネット・ベニングも素敵でジェイミー役のルーカス・ジェイド・ズマン君も美しすぎた。観終わってタバコを吸わないようにするのに強い意志が必要となる映画。グザヴィエ・ドランの『マミー』、『たかが世界の終わり』とかも思い出したな。

 

好きなシーンはたくさんありすぎてあれなんだけど、アネット・ベニングが息子の気持ちをわかろうと息子の好きな音楽を聴いてウィリアムとノリノリになろうとするシーンがとても印象的。進歩的なつもりでいても年をとると自然と保守的になってくるし、そうならないためには多少強引にでも別のカルチャーを体感するしかない。アネット・ベニンググレタ・ガーウィグ、エル・ファイングにお願いしたことへの賛否はあると思うけど、結果としてすごくプラスだったんじゃないかな。

 

フェミニズムネタがちりばめられているのも面白かった。フェミニズム思想を元に女性を知ろうとするのは吉と出るかどうか難しいけど。私は私を理解するために本を必要としない、は格好よかったな。

 

刺激の多かった昨日の興奮を引きずっているのか、朝5時に目覚めてしまった。今日はゆったり過ごして余韻を味わおうと思う。と言いつつ昨日寝る前に『マチネの終わりに』を読み終えた。すれ違い〜のやきもきがずっと続いた末の、本当に縁のある人とは何度でも会えるんだな、という希望的ラストがとても好きになった。

『超AI時代の生存戦略』『マチネの終わりに』とか

最近は読書をする時間が長くて、いろいろな本を読んでいる。入院用に用意した本の中で夢中で読んだのは落合陽一さんの『超AI時代の生存戦略』。闘病中には過激かな、と思ったけど読んでいてわくわくする本だった。頭の回転の早いゼミの先生のお話を聞いているかのようなテンポで展開される未来像は想像より心地よく、ワークライフバランスじゃなくワークアズライフとか、知識にフックをかけていくとか、今後快適に生きて行くためのヒントがたくさんあった。こちらはKindleで読んだんだけど、紙の本でも欲しいかなー。けど寝っ転がりながら読めるからやっぱりiPhoneでよかったのかなー。

 

ずっと積ん読になっていた『マチネの終わりに』も読んでいる。以前読もうとしてあまりの社会派ぷりについていけなくて閉じてしまったことがあった。その時は身近な世界以外の話を読むのが本当に苦手だな、と少し落ち込んだけど、今は気持ちに余裕があるからかなんとか世界に入り込めた。

 

クラシックギターの奏者とジャーナリスト女性の恋愛の話なんだけど、高尚中の高尚といえるような会話で関係が深まっていく一方で行動のキーになるのはいつだって携帯とかメールとかすれ違いとか策略とかで、その辺はとても原始的というか。会話が高尚すぎるから「さっきのメール何?ありえなくない??」みたいなふつうのツッコミがないまま話が展開していくんだよな、という感想を持っている。すれ違いの半分は防げたんじゃないかな。。

 

でも、今は携帯のおかげで履歴とかがあるし、送ったと思ったものは絶対に送られている、という前提だからこそのすれ違いは起こっているのかもれない。特に、「返事がないのが返事」的な解釈は実は危険なのかも。気づいてないだけで、終わってしまった関係において、相手が本当はどういう状況にあって、何を考えていたかなんて永遠にわからないことの方が多いのかもしれない。

 

存在しなかった未来は、最近の創作物でよく見かけるテーマだ。『ララランド』もそうだったし、少し前に出た小沢健二の新曲もそうだった。まだ途中までだからなんとも言えないけど、二人がすんなり一緒になっていた世界を見てみたかった気もするし、その時点ベストじゃなくベターな選択をした結果の読み応えもほろ苦くてなかなかだなと思う。

 

角田光代さんの大好きな短編で、『誕生日休暇』という話があって、その中に出てくるエピソードを思い出した。

 

ある男性が彼女にプロポーズをしようと新宿のスタバで待ち合わせをする、その日は雨でスタバはとても混んでいた。彼が待ち合わせに遅れる、と連絡した時彼女はスタバに入れず外にいた。彼女は偶然元彼に会ってしまう。久しぶりの再会は懐かしく、彼は遅れるというのでちょっとだけ一緒に飲むことにする。再会飲みはとても盛り上がり、今日だけならいいか、と、彼女は彼に「お腹が痛くなっちゃったからなかちゃん(共通の友人)の家に泊まるね」と嘘の連絡をする。普段だったら「わかった」と返信するところだけど、なにしろ彼はプロポーズをする予定だったからどうしてもその日に会いたくて、仕事の終わりになかちゃんの家にいく。そこにいたのは結婚記念日のごちそうを用意して一人待つなかちゃんだった。なかちゃんの夫はいつになっても帰ってこない。なかちゃんは彼に「これ、一緒にやっつけて」とお願いする。

 

その日をきっかけに彼と彼女の人生は大きく変わる。結論としては彼はたくさんの「あの時、もし」を抱えながらなかちゃんと結婚式をあげるためにハワイのマイナー都市にいる。ちょっとしたタイミングのずれとか、小さな嘘とか、そういうのは日常につきものだし、突飛な話だけど妙なリアリティがあって印象に残っている。

 

どうなんだろう。大人な対応はこういうタイミングのずれとかすれ違いを加速させちゃう気がしてきたけど、追求する姿勢が何かを逃すこともあるし、難しい。国際問題とかクラシック音楽への造詣も深くない私なので『マチネの終わりに』を適切に読めているか自信はないけど、恋愛には男側から見た真実と女側から見た真実が別々に存在していて、今の私のように俯瞰して「それ違うよ!」という視点を持つことは不可能だということ、それでもその場その場でいろいろな選択をしていかなきゃいけないこと、そう考えるとうまくいっている関係とか実は奇跡、みたいな考えがぐるぐる浮かんでいる。

 

主人公二人の、即物的じゃない恋愛の感じもとても印象的だった。洋子のように外見の美しさと内面の豊かさ、知性をこんなに感じられる女性は稀有で、実際身近にいたら気後れしてしまいそう。それにしても自分と同年代の方々の話だったので、こんなに高尚な観点で相手を好きにならなきゃいけないのか、と本当に驚いたし、いろんな意味で、我が身を省みたいと思う。もう既に何がハッピーかなんて簡単にいえないストーリー展開になっているけど、二人が幸せになりますように。

朝起きたらまずコーヒー

5:45に目が覚めて、コーヒーを淹れてパンを焼いて朝ごはん。ジョン・コルトレーンとか聴きながらブログが書ける。。退院しました。

 

痛み止めの効き具合を落とさないためには、病院での投薬タイミングを守ればいいのでは?というシンプルな法則に気づき、投薬タイミングとは起床就寝食事のタイミングのことなので頑張ってあわせている。

 

病院のタイムスケジュールは、6時検温、8時朝食、12時昼食、15時シャワー、18時夕食、21時就寝という感じだった。今のところだいたい守っている。21時代に寝ると自然に6時前くらいに目が覚めることが分かった。持病のせいもあって朝は身体が動かず苦手だったけど、生活習慣って一週間で変えられるんだな、と思う。

 

中でも新鮮だったのが夕方のお風呂時間で、お風呂は寝る直前、という思い込みがくつがえされた。夜ご飯の前にお風呂をすませてしまうと食後がとてもゆったりできる。食後眠くなるくせがあって、そうするとお風呂に入るまでがとっても億劫になり、入ってしまえば気持ち良いんだけどそれまでのハードルがとても高かった。そういう葛藤がなくなる。といっても仕事が始まったらそうもいかないんだろうけど。

 

病院のタイムスケジュールは病気の治癒に合理的に組まれているはずだから、少なくとも一週間はこの調子で過ごしていこうと思う。ナースステーション周り10周の代わりに近所のお散歩(昨日あまりの暑さにびっくりした。日傘必須ですね)、出される食事じゃなく自分で作る食事、時間通りの服薬、、裁量が増えるって本当に嬉しいことで、地味な一日がかけがえのないものに思える。

 

まだ食欲と吐き気問題は解決していないので、最初の一週間は徒歩圏内だけの移動にして、来週後半あたりで電車に乗ってでかけるリハビリができればいいかな。家事に関しては、お料理と洗濯は問題なくできるけど、意外なことに掃除や片付けがまだ無理だった。中腰になったりしゃがんだり、の体勢で痛みがでがち。業務内容的にしばらく自宅療養したほうがいい、という医師の指示は正しかった。今日もお散歩に無事に行けて、平和に食事が食べられますように。