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砂糖。少量。緊張。計量。

アリがくるのがとてもこわかった。前の前に住んでいた家は内階段のオートロックだったのに密閉性が低かったのか、気づいたら部屋の中にアリの行列がいた。もういい年だったのにパニックになり車で一時間ほどかかるところに住んでいる親に電話してしまった。アリコロリみたいな身も蓋もないネーミングの薬剤?を持ってきてくれた親は「もうしょうがないわね」と言いながら笑っていた。アリコロリがすぐに効いたのかどうか、覚えていない。

 

この時アリが砂糖の瓶をめがけてきていた気がして、実際どうだったのかはもう曖昧なんだけど、家の中に砂糖を置くことがこわくなった。それ以来スティックシュガーを使っている。

 

クックパッド有料会員になってから、砂糖を使う機会が増えた。自己流の料理だとほとんど使わなかった砂糖だけど、みなさんのレシピ、特に和食のタレ系にはよく登場した。その度にスティックシュガーを何本も空けながら軽量した。大さじ2以上になると面倒くささが増す。

 

八百屋さんでイチゴを2パック400円にしてもらった。意気揚々とカゴに入れて買ったんだけど、考えてみたら2パックのイチゴを食べるのは簡単ではなく、特に今は春眠暁を覚えずの時期だから朝イチゴを食べる余裕が本当にない。ジャムにしなきゃ。

 

ジャムのレシピを検索するとぎょっとするのが砂糖の量で、だいたい100gから、という感じ。スティックシュガーは一袋3g、50本入りだから全部入れてやっと150g。その本数を開封するのは無理なのでついに砂糖を買うことにする。スティックシュガーの前はブルガリアヨーグルトについてきていたグラニュー糖をためて使っていたけど、いつの間にかそのシステムはなくなっていた。

 

とにかく一番小さいサイズを、と探したけど近所のスーパーでは500gの上白糖が最小サイズで、保管がこわそうな袋入り。これじゃ絶対アリがくる。家にあるジップロックコンテナに入りますように、と祈るような気持ちで買って帰りジャムに入れる100gを取り分けてから投入すると、ぴったりの量だった。密閉成功。

 

スティックシュガーをやめてみると、今までよくあんなに面倒なことをしていたんだろうという気になる。砂糖を使うレシピの場合、分量を確認し、前もって開封してお皿に出しておく必要があった。鍋のそばであたふたするとコンロにこぼしてしまったり、濡れた手で触って袋がくしゃくしゃになってしまうから。今はジップロックの蓋を開け、大さじですっとすくうだけで完了。

 

そんな感じで快適な砂糖使用が始まったら、妙に甘い料理が完成することが増えてしまった。これまで砂糖はレシピを確認し、スティックシュガーをその分量分取り出し、空けてから余ると困るので過不足がないようにきちんと計算してから使っていた。今はざっと見てさくっとすくってぽんと入れている。2人分のレシピから1人分を作ろうとしていて、他の材料はきちんと1/2分を計量していても、砂糖だけレシピ通り入れてしまったり。

 

密閉容器は存在するしアリはこないし家に砂糖があることはふつうだしこれからはスーパーで買う砂糖がない、と途方にくれなくていい。小麦粉と砂糖があれば、ふと思い立ってお菓子だって作れる。それなのに砂糖を使うことに特別感があって、大さじを揺らさないように気をつけながらスティックシュガーの袋から次々と注いでいたころが既に懐かしい。このまま大容量の砂糖に慣れると、甘いものは特別なもの、という感覚が薄れて際限がなくなってしまうんじゃないか、みたいな不安も生まれている。それでも部屋中を甘い香りでいっぱいにさせながら作ったいちごジャムは粒がごろごろしてとても美味しくて、手間の割に出来上がりの分量はほんの少しだし、アオハタのジャムだって十分美味しいんじゃないかとも思うけどまた来年は作ろうと思うし、私のキッチンの砂糖が充実するきっかけを与えてくれた八百屋さんにはいつもながら感謝しかない。

少し元気がない日にサボン

サボンとの付き合い方が年々変わる。今はRose Teaの香り。大きなジャー。うすいピンク色のボディスクラブ。浴室の棚が定位置。

 

最初に買ったサボンは不当に高いと感じながら買った。重くて大きなジャー。さわやかな香りのするうすい水色のスクラブ。お風呂で割らないよう気をつけながら持って入り、入浴後は水気を拭き取って洗面所にしまった。肌がつるつるすべすべになる感触は素晴らしかったのにあっという間に使わなくなり、気付くと1年経っていた。表面のオイル分とソルト部分の分離が、1年経つとなんだか気持ち悪くなり、新聞紙に染み込ませながら丁重に処分したのを覚えている。しばらくサボンのお店には近寄らなかった。

 

数年後、友達のプレゼントにハンドクリームを買おうとサボンのお店に寄ることになった。そこで出会ったのが小さなジャーに入ったスクラブシリーズ。ちょうどボディケアをしないと腕も足もカサカサだな、と思っていたタイミングだったし、このサイズなら使いきれるのでは?という期待がふくらんだ。ついでに、ボディクリームより軽い使い心地のソルベという商品も見つかった。初夏だったと思う。

 

価格帯は変わっていないはずなのに、それほど高いと感じずに支払いをした。効果と、ボディケアは何を買っても続いたことのない私でも、今度こそボディケアを続けることができるかも?という期待感が高まりわくわくした。スクラブとソルベとの香りの相性を考えるのも楽しかった。

 

小さなジャーに入ったスクラブを持ってお風呂に入ったとき、棚に置いておけると気づいた。今まで習慣づかなかったのはいちいち持って入り、拭き取って洗面所に戻す手間が面倒だったからに違いない。

 

この作戦は成功して、スクラブが習慣になった。次の日に会う人や、洋服をイメージしながら使ったり使わなかったり。ブランドが推奨する週2回は無理でも、週1回は使うようになった。お風呂を出ると、やわらかくなった肌をキープしたく自然とソルベも塗るようになる。ソルベは本当は毎日が必須なんだろうけどそれはなかなか。この頃は予定が多く入っていて、毎日が充実していた。

 

小さいジャーを使い切ったので、またサボンの店舗に行った。そのときおすすめされたRose Teaという香りが気に入って、でもその香りには小さいジャーが用意されていなかった。せっかく小さいジャーなら使いきれる自信がついたのに、どうすればいいんだろう。その時ピンときた香りはそのRose Teaだけだった。結局、もう一度大きなジャーにチャレンジすることにした。一緒に、濡れた肌にもそのまま塗れるボディオイルも勧められて買ってみた。

 

大きなジャーを開封する頃、私の日常は平穏というか退屈に戻っていた。予定に合わせてスクラブをする日を設定していては、頻度が減ってしまう。大きなジャーに入ったこのうすいピンク色のスクラブは、使いきれるんだろうか。目に入るたびに少しだけ気が重くなっていた。

 

そんなある日、疲れ果てて帰宅後の入浴中、品質確認、みたいな感じでなんとなくジャーを開けてみた。いつも通りいい香りがする。せっかくなので使ってみる。次第に気分はすっと晴れてボディオイルも忘れずに使い、甘い香りの中で気分よく眠ることができた。

 

翌朝すっきりと目覚めて、なんだか大発見をした気になった。わくわくする気分の時にサボンを使っていたけど、逆でもいいのかもしれない。ちょっとした疲れなら、お風呂中に広がるいい香りが癒してくれそう。おまけに肌もすべすべになり自然と気分もあがっていいことばかり。これからはぱっとしない気分の時にもがんがん使っていこう、大きなジャーにしてよかった、むしろ週2で使うようになってあっという間になくなっちゃうかも?みたいな妄想を広げたのは完全に杞憂で、結局は週1くらいの頻度に落ち着いて今に至る。

流し見が得意じゃなくて

テレビをこまめに消してしまう。ちょっと別のことをしているな、と気付くとすぐに消す。誰かからメールがきて、返信するときもだいたいそう。朝の支度の時間以外は、テレビをつけているときは見ているとき。

 

男の人と付き合うときにびっくりするのが、テレビをつけたまま電話で話す人がとても多いことだ。話がこんがらないのかな、と思うけど平気みたい。女の人のほうがマルチタスクに強いというけど残念ながら私には当てはまらず、立ち止まらないとスマホを操作できないから、それどころか座らないとちゃんと考えられないから駅のベンチによく座る。駅に貼られた「歩きながらのスマホ操作は危険ですのでやめてください」ポスターを一番実践しているのは私なんじゃないかと思う。

 

見るときしかテレビをつけない家で育った。夜7時までのテレビは禁止で、親の許可した番組しか見られず、それぞれが見たい番組を新聞のテレビ欄で赤いペンや青いペンで四角く囲んでおくような家だった。今思えば子育てノウハウ的な何かを参照していたのかもしれない。習慣というのは強力で、もう十年以上一人暮らしをしているけど、昼間テレビをつけることに罪悪感があるし、常に自分が本当にこの番組が見たいのか気になり、見始めてもすぐに消してしまう。

 

お正月に実家に帰ると毎回驚く。昼間何時に帰ってもつけっぱなしのテレビ。お茶を出してくれる前にテレビのリモコンを渡される。私の受けてきた教育はいったい何だったのか。

 

姉から姪っ子のかわいい動画が送られてくる。歌ったり踊ったり、本当に芸達者でかわいらしい。それでも私が気になるのは背後に鳴り響くワイドショーのジングルの方で、あれ、お姉ちゃんはテレビつけっぱなし生活をしているんだな、と毎回思う。

 

これはテレビだけの問題じゃないのかもしれなくて、例えば私は人といるときにスマホを見ることがものすごく苦手。人がどうしていても気にならないのに、自分は目の前の人以外とコミュニケーションをとることがどうしてもできない。一見いいことに思えるけど多分逆で、私がいつも人付き合いに疲れ果ててしまうのは人と真剣に向き合いすぎるからなんだと思う。

 

「テレビの流し見が苦手で〜」と昔の上司に話したことがある。ずっと最難関の学校を卒業してきたその方は、「それはまだ余裕があるからだ」と言い切った。限られた時間の中でものごとを広く知ろうと思ったら、真剣に見ている以外の時間も情報を浴びていなければ追いつかない。政治経済スポーツ全ての話題をカバーしようと思ったら確かにそうだ。私はスポーツニュースが始まるとすぐにテレビを消してしまう。

 

常に100%没頭していないといけないなんてことはなくて、例えば一緒にいるときにお互いが好きなことをしていて、たまに共有するくらいでいいのかもしれない。テレビも、たまたまつけっぱなしにしていたら始まった番組で何か発見があるかもしれないし、そもそもそんなに毎回毎回発見があると思っていることの方がどうかしている。

 

新聞を読めなくて困っていた。ちゃんと読もうと思ってためて、結局読まずに捨ててしまう。何度も休会と再開を繰り返している。そのちゃんと、をやめてみた。

 

疲れているときは、エレベーターの中で見出しだけみてそのままにしたり、時間のある日はじっくり読んだりする。たまに知らないスポーツについて読み込んだ上にネットで調べたり、家庭欄の話題に癒されたり。新聞から与えられているように感じていた「圧」が減った。

 

時代がどう変わっても、私のように興味のあることにしか目を向けないタイプの人こそ、テレビや新聞みたいに編集されて一覧できる情報に触れる必要があるんだと思う。必要なのは、くまなく見ようとか、あとで落ち着いてゆっくりみたいなスタンスじゃなく、そのときに吸収できる分をさらっと、みたいな感じなんだろうな。昔占い師をやっているマダムと、「あなた、真面目なタイプね」「そんなことありません」「うふふ。真面目な人は絶対にそう答えるのよ♪」という会話をしたのを思い出す。

録画することをやめてしまった

ドラマを見るのが好きで、見忘れないように録画して、見たいタイミングで見るのが好きだった。翌朝が早い日はリアルタイムで見るのはあきらめていたのもある。

 

ツイッターや翌日のランチの会話向けに、リアルタイムで見た方がいいのは前からだし、今も変わらないはずなのに、最近リアルタイムでも見ていない。一度「カルテット」の見逃し配信を試してから。

 

録画してハードディスクにたまったデータがプレッシャーになるのはどうしてだろう。容量が減っていく画面を見るたびに大げさだけど胃がきゅっとなる感じがあって、特に昨年旅行に行ったのをきっかけに大河ドラマの録画がたまって、今でもたまったままなんだけど、その画面を見たくないが故にプレイヤー自体を起動しなくなってしまった。私の中で石田三成はまだ生きていて、不人気なのにお茶会を開こうとしている。

 

その点見逃し配信はよかった。私は手元に何も所有しなくていいし、一週間以内に見ないといけないという適度なプレッシャーもある。一週間あれば、一時間のドラマを見る時間は作れるし。

 

こうして、私は「カルテット」のほとんどの回を約一週間遅れで見ていた。最終回はまだ見ていない。先が見たいという欲求ととっておきたい欲求の絶妙なバランス。といっても火曜日夜までの期限つきだし。

 

じゃあ所有が本当に嫌になったかというとそんなことはなくて、年末からspotifyでずっと聞いていた「ララランド」を、公開後すぐにiTunesでダウンロードして毎日聞いている。spotifyは無料視聴時間の上限をすぐに過ぎてしまうからだけど。

 

spotifyでしか聞かない曲もある。例えばグザヴィエ・ドランの「Mummy」のサウンドトラック。oasisの「Wonderwall」とかラナ・デル・レイの「Born To Die」とか、何度も聞きたいのにダウンロードはしていない。ちらっと聞いて即ダウンロードして数回しか聞かなかった曲もあるのに。

 

ほぼ「Mommy」専用と化したspotifyは、無料視聴時間を超えないように慎重に利用していて、流しっぱなしが持ち味のサービスなのに本末転倒の低速利用。有料サービスに移行すればいいのかもしれないけど、課金した時からspotifyの膨大な音楽を所有してしまうイメージに取り憑かれてしまい、活用できていないのではプレッシャーに負けてしまいそうになり見送っている。

 

課金が全部嫌なわけじゃなくて、最近はクックパッドの有料会員になった。毎日グーグル検索に入れるキーワードを熟考するのに疲れてしまったから。利用し始めて最初の一週間はものすごく楽しくて、「ラーメン たれ」「お味噌汁」 とか、調べてくていいメニューまで調べて作ってみた。会員になって一ヶ月くらい経つけど、熱中度合いはだいぶ落ち着いてしまった。もう開かないかも?と思っていたハードカバーのお料理本と併用したり。

 

デジタル系サービスの取り入れ方には、その人らしさがすごくでると思う。とにかく無料派、さっさと課金して活用し尽くす派。断捨離思想にかぶれすぎて所有がこわいし、クラウドサービスを活用する固定費もこわかったりする私は自分の選択にいまいち自信がもてない。「あまちゃん」〜「真田丸」まで消せずにいるハードディスクレコーダー、電子化した300冊が入った、もうサポートも終了してしまった年代もののKindle(充電が1時間位しか持たないので何も読めない)、毎日iTunesで音楽を聞いてクックパッドでレシピを検索してたまにspotifyも起動する2012年くらいに買ったiPad、、、。所有と活用の度合いは未知数で、でもそれはデジタルに限ったことではなく、今日買った「エドウィン・マルハウス」という、文庫なのに1500円もした本についてもあてはまる。新聞や雑誌でとりあげられているのをみた気がして、通りかかった本屋さんの店頭で見かけた時は運命!と思ったのだけどちゃんと読むのかな。明日は日曜日。

菜の花を好きな私が好き?

レシピサイトを見ていたら菜の花!旬!というワードが気になって食べたくなった。ほろ苦さ、春菊と同じくらいさっと火が通るので火にかけると焦る感じ。きれいな緑色。

 

菜の花の売られ方は独特。なんかぎゅっとして紙に包まれている。値段もサイズにしては高い気がするけど春を感じる食べ物だから時価みたいなものなのかもしれない。

 

レシピをみてびっくりするのは、たいていのレシピで使われる菜の花は1/2束。なんとなく春菊のイメージが重なっているので半束なんてちょっとになってしまうんじゃないか?と思うんだけど実際菜の花の嵩はそんなに減らない。

 

菜の花初日はみんなのきょうの料理にあったレシピを参考に「鳥むねと菜の花のさっと煮」を作った。おいしくできた。菜の花は思ったよりたっぷりあって、この日はあったかかったのもあり、春を満喫した気分になった。

 

翌日も冷蔵庫に菜の花はある。今度はクックパッドにあったレシピを参考に「菜の花とたまご炒め」を作った。ほんとうは豚肉なんだけど、前日の残りの鳥むね肉を使った。こちらもおいしくできた。でも、二日目はいよいよ菜の花のボリューム感が気になってくる。まるで調理して増えているかのような存在感。ほろ苦いを通り越して苦いのでは。ふわふわしたたまごと絡んでおいしかったのは最初の1/3くらいで、後半は義務感のように食べた。

 

菜の花は春の訪れ野菜だし、少し憧れのような気持ちがあった。ふかふかとしたソラマメを買ってきて茹でるようなテンション。満を持して買ってきた菜の花に、飽きてしまうなんて。ひょっとして旬を味わえる自分に酔っていただけなのか。私が好きなのは菜の花じゃなくて菜の花を好きと思える自分?みたいなありがちなツッコミを入れたくなる。

 

一人暮らしで自炊をするときに念頭におかなくてはいけないことがあって、それはたいていのレシピは2人分か3人分を想定していること。いつもは頭の中で調味料を1/2に計算しながら作っているのに、菜の花が登場してからというもの、菜の花1/2束なら一人で軽く食べられるのでは?という邪念が入りこんでしまった。気になってレシピを確認するとどちらも2人分の分量。菜の花はもちろん、肉もたまごも二人分の分量を一人で食べていた。その上常備菜として副菜も。食べ過ぎ。お腹いっぱい。菜の花を味わうどころじゃなかった。

 

私に足りなかったのは菜の花を味わうセンスではなく、ひとりぶんの料理を作るんだ、という緊張感で、食べようとすれば食べられてしまうからレシピ通りに作ってしまうと最後の方はおいしさが薄まってしまう。和食を作るときは特に、外で食べるときの小鉢や中くらいのお皿に上品に盛られた主菜や副菜の数々を念頭におく必要があるし、万能なイッタラの白い21cmボールの限界かな、と最後は物欲で頭がいっぱいになりそうになったのでとりあえず思考を止めてみる。

部屋着を新しくしてよかった話

三連休だったので部屋にいられる時間が長かったんだけど、つくづく思うのは年末に部屋着を買い換えてよかったということ。

 

ときめきとかガラクタとか、片付けに関する本を読み過ぎたせいで部屋着の選び方がこんがらがってしまっていた。大筋は部屋にいるときこそ最上のものを、みたいなことなんだろうけど、部屋における最上ってなんなのが微妙なところで、リラックスすることを考えると着心地を重視すべきなんだろうけど見た目も無視するわけにはいかないし、そもそもどこで買えばいいのかよくわからない。ユニクロのフリースを着ていた時期もあったけど静電気がすごくて長時間着ていられなかったし。かわいい部屋着の代名詞的なジェラート・ピケはファンシー過ぎて恥ずかしいし、あのもこもこパステル素材は長持ちしなさそう。

 

気づけば5年以上同じ部屋着を着続けていた。ボトムはフリンジのついたケイキィみたいな名前のブランドのうすいグレーのスウェットで、トップスはキッドブルーの中綿素材のうすいクリーム色に白いドットが入ったもの。スウェットは当時よく通っていたネイルサロンに行く途中にある小さなセレクトショップで買ったもので、気に入って色違いで2本買った。うすいグレーとネイビー。その頃はカジュアルな服装が好きだったので、少し長い丈を靴下に入れ込んでヒールを合わせたりスニーカーを合わせたりして外出時に堂々と着ていた。担当のネイリストさんはもう独立したしそのネイルサロン自体が移転してしまった。キッドブルーのセールはくまなくチェックしていたのにいつの間にか自分向きじゃない気がして行かなくなって数年経つ。それなのに。

 

キッドブルーのトップスは暖かいし、ケイキィのスウェットはサイズ感が絶妙だし、これ以上のものに出会えると思えなかった。週末のたびに洗濯して、洗濯中は着るものがなくて冬に夏物の短パンをはいたりしてしのいで、乾いたらまた着た。部屋着は一枚で充分暖かくないとリラックスできないと思っていた。料理をしていて汚れがつくと動揺した。シミがついたらお気に入りの部屋着をもう着られなくなってしまう。

 

そもそも部屋着を着る習慣がなかった。外出から帰ってくると、お風呂に入るまでは外出着のままでいた(寝る時はパジャマだけど)。「そのままじゃくつろげなくない?」と洋服が大好きだったその時の彼氏に指摘されるまで、自分の習慣が変だと気づかなかった。私もけっこう洋服好きだったんだけど。っていうかそれまでの付き合っていた人たちはどう思っていたんだろう。

 

ケイキィのスウェットは、洋服が大好きだったその時の彼氏に一番褒められた服だった。褒められたというか、僕が着たい!的な感じだったのでたまに貸してあげたりした。私もそう思ったけど、フリンジがとてもかわいいと言っていた。洋服の好みが年齢に応じてカジュアルからキレイめになるにつれ、スウェットの出番は減ってきたし、その彼氏とも別れてしまった。彼氏がたまに着ていたネイビーは処分し、うすいグレーのスウェットは部屋着になった。その頃から部屋着について考えることをやめてしまった。

 

シュット!インティメイツについて知ったのは、山内マリコの「買い物とわたし」を読んだからで、「下着イノベーション」というタイトルの文章に惹かれてすぐにサイトをチェックした。デザインに一目惚れして適当なサイズを試しに買ってみて大失敗したりもしたけど、リアル店舗にいっていくつか買ってすっかりファンになった。年始のセール前にまた商品をチェックしようと思ってまたサイトを見ていてふと部屋着のページが目に入った。うすいグレーのスウェットパンツ。裾がちょっとだけテーパードされていてキレイめに着こなせるというような説明。二色展開で濃いグレーもあった。隣には「Life is...」と書かれた同じくうすいグレーのスウェットシャツ。

 

今思えばグレーのスウェットなんてそこらじゅうにあるはずだし5年以上もお気に入りと出会えなかったなんて信じられないんだけど、とにかく運命かも?くらいのテンションで注文した。サイズは迷ったけど両方ともLにした。送料を無料にするにはどうとか、いろいろ考えることがあって疲れてしまったけどとにかく注文した。パンツは色違いで2本買った。トップスの厚みがわからなかったのでもこもこのカーディガンも注文した。

 

届いてみて部屋着の進化に驚いた。スウェットなのにラインがきれいでだらしなく見えない。Lサイズを選んだのも正解で、かえって着やせして見える。宅急便もゴミ出しもこわくなくなった。冬の朝はカーディガンを羽織れば暖房が効くまでの時間も寒くない。年明けのセールのタイミングで同じトップスを買い足して週末の洗濯サイクルも完璧になった。ケイキィのスウェットは比べてみたらだいぶくたびれていたことにようやく気付いた。

 

長年着ている部屋着を着られなくなることがとても怖かった。これ以上のお気に入りデザインを見つけられないんじゃないかとか、一枚でこんなにあったかいトップスは見つからないんじゃないかとか、どこに売っているのか分からないジャンルの服を探し回ってへとへとになるんじゃないかとか、、、世の中は進化しているはずなのに。

 

部屋着を難なく変えられてから、こわいものが少し減った。ずっと不調だったiPhone5をiPhone7に買い替えたり、気づけば10年くらいランコムじゃなきゃ、しかもアンプリシルじゃなきゃダメだと思っていてネットで買い足していたマスカラをアディクションに変えてみた。どちらもとても機能的で毎日が快適になった。それどころか、美容に詳しい友人によると、アンプリシルはもう随分前に廃盤になっていて、ネットで売っていたのはものすごいデットストックだったんじゃないかという。いいと思ったものを買い続けてリスクを回避していたつもりが、実は使用期限というリスクに直面していたなんて。