kate100s’s diary

百野毛糸の日記です。

Beautiful Peopleのライダーズを着る人生

寒い。小寒。暦って本当に的確で、朝早く起きて暖房をつけているのに今でも手がかじかむほど寒くてあったかいお茶ばかり飲んでしまう。緑茶、ルイボスティーレモングラスティー、コーヒーをエンドレスリピート。必要性をあまり感じなかったサーモスのマグを初めて欲しいと思った。お茶がすぐにつめたくなるー。

 

12月末にカード請求がきて、飛び上がるほどびっくりしてしばらく身動きがとれなくなったというのに、友達のお誕生日プレゼントを見に行くだけ、リップを買うだけ、のつもりで入ったデパートでまたも運命の出会いがあった。

 

Beautiful People(今スペルに自信がなくてググったんだけど頭大丈夫かな)のライダーズに憧れはずっとあった。キッズと共有できる、をコンセプトにした小さめの作りがとってもかわいく、130, 140,150 ってサイズ名を聞いてるだけでなんかあったかい気持ちになる。

 

けど、ライダーズ。以前何度も試着したけど全く似合わなかったライダーズ。お店の人からもお世辞にもすすめられたことがないライダーズ。。これが昨日は奇跡的にいい感じに似合っていた。顔が変わったのか髪型のせいか加齢のせいか、似合うものって変わるのかな。しかも普段はセールにならないアイテムのはずが40%くらいオフ。

 

最初に着てみたのは130で、肩にマチ?が入っってなんとか肩は動くんだけど胸がつぶれている感じになった。でもかわいい。ハードなデザインなのに今まで着たどのライダーズよりも女性らしい雰囲気になる。欲しい。

 

このサイズでもいけそうですけど〜、と言われたけど140を出してきてもらった。最高のフィット感。この日はそこそこ厚手のニットにウールのパンツを着ていたんだけど、ぴったり、という感じ。150だとふつうのライダーズっていうか、このコンパクトなかわいさはなかなかでないかも、と言われて納得した。

 

スカートにも合わせたい、といったらおすすめを持ってきてくれた。パンツ合わせもいいけど、ハードなライダーズにはフェミニンなスカート合わせがやはり最高。久しぶりに「脱ぎたくない!!」という気持ちが強くなって買うことにした。

 

楽しかったのは家に帰ってからで、まず念頭にあった白のタイトスカートに短め丈の赤い8部袖ニットを合わせたらとてもかわいく、テンションが上がっていろいろなお洋服とコーディネートしつつのクローゼット大掃除がはかどった。キープ、zozoused行き、処分、などなどクリアになっていって気持ちもすっきりする。いつも適当でなんとかしたかった靴下合わせもいろいろ試して取捨選択した。

 

おしゃれになるには野宮真貴さんの「コーディネートごと買う」という提案はもちろんありだけど、銘品と言われているアイテムを投入して手持ち服を活性化させるっていう方向もあるな、と思う。ツイードジャケットとか、ジョンストンズのストールとか。いつかグッチのホースビットローファーも履いてみたい。

 

今日は朝早くから目が覚めて、それは出費プレッシャーにうなされたからで、登録だけして2014年から放置してたzaimを始めることにした。少なくとも今年は今までにどれだけのお金を使ったのかをリアルタイムで把握しながら生活していこうと思います。初日の出費だけでもう今月は何も買えない計算になっていて、ルミネへの立ち入りは2ヶ月後まで禁止。

 

 

買ったままにしたくない

年末なので今年やったこととか観た映画や読んだ本、買ってよかったものとかをいろいろ振り返っているんだけど、今年なのか去年なのかの線引きが曖昧。ラ・ラ・ランドは今年。アズミハルコは行方不明が去年。沈黙はどっちだっけ?ってなる。

 

総合的に見ると、今年は寝込んでいるかお洋服を買っていた。以上。本当にそれしかしていない。。医療費とカードの請求に怯えながら一年を過ごしました。

 

お洋服はでも、買ったらすぐに着て「あああったかい、買ってよかった」「ほめられた」「思ったより着まわしできる」「下に何を着てももこもこしないコート」などなど当たりが多かったし、まだうまく言葉にできないけどコツをつかんだような気分。

 

メイクもいろいろ試行錯誤した。メイク本、美容本をいくつか読んで、川上未映子さんなど綺麗な方々のインスタを熟読してたくさん真似をした。眉毛の描き方とヘアケアの仕方について、こっちもコツをつかんだ風。眉毛サロンにはいくつかの流派があり、どちらも万能ではないと知るとか、いろいろ勉強になった。それはそうとukaのケンザンの両手使い最高です。頭皮用化粧水という新アイテムも投入してふかふかの頭で新年を迎えられそう。

 

本!

本が!!

これ無意識に何度も検索しちゃったんだけど本を読めなくなった。読みたい気持ちはあって、本屋さんにいくと買う本、次回に回す本が次々と見つかる。前に読んだ本で読み返し用(何者とかコンビニ人間とか)のほかにも、新しい本もどんどん買った。

 

それなのに家に帰ってくると全く読めない。危機感を感じて会社帰りに本を買ってそのままスターバックスに行って読む、というのを何度もやった。ビジネス書とか学術系?の本はそれで読めるんだけど、一気に読むから内容を1ヶ月も経つと忘れてしまう。なんとなく小説は外で読みたくなくて家で、と思うと本当に読めない。「アナログ」とか20ページくらいで止まっている。「マチネの終わりに」もものすごく苦労して読み進めた。

 

検索の甲斐があって私のような状況を表すような一文を見かけた(ただしうろ覚え)。積ん読が増えている状態は、読みたいという気持ちが読書速度を上回っているのだから読書家として健全なのだ、という。納得できるようなできないような。要は加齢による気力の低下なのかな、と思っている。読むスピード自体は落ちてないんだけど、読もうと思うまでのハードルが上がった。あと記憶力がどんどん弱くなってきている。寂しい。

 

ほかに検索ででてきたのは、好きなことに興味がなくなったのはうつ病のサインかもしれないというもので、これも気をつけなきゃいけないと思った。今年の真ん中くらいから新聞がいよいよ読めなくなって、ずっとお休みしているし。仕事その他もろもろのストレスすごいし。体調がいまいちなのもストレス源だろうし、自分をいたわらなきゃな、と思う。

 

なんとなくだけど、自分が全方位的に消費意欲が旺盛だから(といってもお洋服、化粧品、本、音楽、映画、食、くらい)、買物依存症になることへの恐怖が強くて、チェックリスト的な診断は何度も試している。だいたい「買ったものを開けずに放置している」という項目がある。これが当てはまらないから大丈夫!と思っていた。買って来たものはその日のうちに開封してクローゼットへ、リアル店舗での買物でもネット通販でも必ずそうしていた。でも本はどうだろう。

 

買ったまま放置している本、こわいから数えないけどけっこうな数だと思う。片付け本とかで「無理に読む必要ない」「いつか、はこない(処分すべし)」的なのをよく見るから泣く泣く手放したものもある。今年中に読むつもりが1ページも読めなかった、予約までして手に入れた「早稲田文学 女性号」がテレビの横にずっと置いてある。この課題は来年まで積み残しで、大掃除のやることリストには「本の片付け」とあるんだけど簡単には解決しなさそうで。旺盛な読書欲(欲しい)と実際の読書欲(読みたい)のバランスがいい感じになることを初詣でお祈りしてみようかな。

今年ハマったもの

気づいたら11月も後半だし、歯は痛いし、痛い痛い言ってるうちに一年が終わってしまう。歯が痛いのは虫歯じゃなく、食いしばりが原因と言われました。意識のあるときは歯を合わせないことだけを考えて過ごしていて疲れてしまった。

 

今年は歯以外にも入院したり手術したりあちこち痛かったりあげくにいち早くインフルエンザにかかってみたり、寝こんでばかりいた気がする。この前ふと振り返ってみたら、仕事とプライベートの宴会の類のキャンセル率も半端ないっていうかほとんど不参加だった。黙々と家でご飯を作っていたし今もバナナケーキを焼いてる。

 

基本寝こんでるから人との約束はほぼキャンセルしてしまうんだけど、突発的に元気な日はよく映画を観にいった。洋画も邦画も当たりが多かった気がする。基本的に映画は映画館でしか観ないんだけど、寝込んでるときに読みやすかった星野源の『働く男』で紹介されていたのでレンタルした『50/50』もよかった。

 

今年はなんといっても「運命」「運命」ってお洋服ばかり買っていた。気づいたんだけど、医療費の負担が増えれば増えるほど、医療費ばっかり使ってるのは嫌!!と思うのかお洋服を買うモチベーションがうなぎのぼりになる。こんな辛い目にあってるんだから自分へのご褒美、的なパターンが多すぎてほんとこわい。まあでも、だいたい毎日どこか痛くて、床に足をつくだけで剣山を歩いてるみたいな感覚の中毎日会社に行ってるんだから、お洋服くらいテンションあがるやつを着ていたいし実際精神衛生上はよかった気もする。

 

ある本を読んで、紹介されていたお店に初めて行ったのが10月で、ブラウスを買って、タイトスカートを買って、ジャケットを買って、次に行ってコートを予約して、パンツを買って、コートを取りにいった日にニットも買った。複数のニットで迷っていたら、店員さんに「最近お買い物が続いてますので、厳選されたほうが〜」と諭されてしまった。

 

文字にするとちょっと異様な買いっぷりで反省している。お店には同世代くらいのお客さんがいて、私と同じくらいいろいろと試着して、「楽しかったぁ⭐️」といって何も買わずに帰って行った。あれが普通なのかも。。

 

ハマると同じ店でどんどん買ってしまうのは前からなんだけど、今回はこのお店のスタイルに魅了されている感があって、なんていうかとてもエレガントなので、今後はこういう感じでいきたいな、っていう芯になる気がしている。30代になってからずっとファッションの方向性が定まらなくて、似合う服万人受けする服を選ばなきゃいけない強迫観念から、服を買いなさいっていう本とか捨てなさいっていう本とかいろいろいろいろ読んできたけど、回りまわってたどり着いたのはお洋服そのものを見て着てみて、プロの意見を聞いて自分に似合うものを選んでいくっていう地道なやり方。まるで病院(お医者さん)との付き合い方みたい。信頼できる人を決めたらあとはアドバイスを聞いてみる感じ。膨大な候補の中から自分のセンスに頼って一握りの似合う服を探しあてるより、最短の努力で素敵になれればそれが一番だし。

 

コートを早めに買うとこれからくる季節が楽しみになる。ニット合わせ、ストール合わせ、パンツ合わせスカート合わせ、いろんなコーディネートで出かけるのがとても楽しみ。12月の忘年会には一つくらいは参加できますように。来年は健康でいられますようにって今年をもうあきらめかけてます。

元気そうもなにもなくインフルエンザ

今年は本当になんなんだろう。過去のブログタイトルを読み返しても病気と体調の話ばかりじゃないか、、、。

 

インフルエンザA型にかかりました。

 

振り返って唯一よかったのは、熱がで始めた当日の対応。会社に行けなくもない微熱だったんだけど、なんかだるさがいつもと違う気がして念のため会社を休んだ。自宅で電話で業務対応とかあったけどじきに朦朧としてきて、体温も37.5℃、38℃、 38.5℃、ってぐんぐん上がってきたのでああこれはおかしいな、と思って19時すぎに病院の夜間受付に行った。欲をいえば日中の外来にかかっておくべきだった。

 

待ち時間はそんなになかったんだけど、担当した救急のお医者さんが微妙だった。症状的にインフルエンザだと思うけど(この時点で熱は39℃)、今インフルエンザの検査をしたら陰性だったから薬は出せない、朝またきて検査してほしい。具合が悪くなったら夜中でもまたきてください、って。

 

具合が悪くなったからきたのに具合が悪くなったらまたきてください!?!?!?

 

ってなったけどもうこの頃には身体中痛いし寒いし一刻も早く横になりたかったからはいわかりました、解熱剤は出してもらえないでしょうか本当につらいです、と言ってみたけど、解熱剤を飲むとインフルエンザの検査が陽性になりにくいよ?とよくわからないことを言われ(後日主治医の先生にこれは全否定されていた)、結局要は何も対応してもらえずに帰ってきた。3000円以上支払って。

 

家に帰って震えながら横になり、眠ることもできずに寝返りばかりうっていた。途中夜中に熱を測ったら39.5℃とかになっていてますますくらくらした。

 

朝になって、まだ熱は39℃あった。いつもの主治医の先生に電話をまわしてもらい、症状を伝えると今から診ましょうか、と言ってもらえた。診察してもらって検査をしたら当然のように陽性反応がでて、あっさりリレンザを処方してもらえた。この時点でもう治ったような気になった。解熱剤も一緒でほっとした。「救急にはなるべくかからないようにね」と言われた。

 

何も食べたくなかったので、帰り道に薬局でOS1を4本買って帰った。会社にインフルエンザだったことを連絡し、すみませんが5日間休みますと伝える。今とても忙しいときなのに快くお休みをいただけた。インフルエンザだから下手に出社しても迷惑だろうし、おとなしくしていることにする。

 

三日間は本当に寝たきりだった。寝ても1時間おきに目がさめるし、身体中が痛いし、頭が痛いし、少し食べると気持ちが悪くなって吐いてしまった。私が元気な頃はとにかく雨ばかり降っていたのに、インフルエンザを発症したころから天気がとてもよさそうで、お出かけも洗濯もしたいのにな、と残念だった。

 

プリン半分、とかから始めてうどんが1人前食べられるようになるまでに4日かかった。ようやく洗濯をする気力もでてきた。筋腫の手術のときも書いてたけど、パジャマが厚みのグラデーションで5着あるのは素晴らしいことだと思った。アマゾンでOS1 12本入りを注文した。24本入りは賞味期限が気になったので12本入りにしたんだけど、箱入りじゃなくてテーピングされたような包装で届いたので保管がちょっと面倒だった。

 

激しい咳がふつうの咳になって、鼻水が急に出るようになって、お腹をこわす頻度が少しずつ減って、ようやく回復に向かいつつある。今年は本当に病気をしては回復しての繰り返しで、なんかついてないのかな、とも思うけど、何度病気になってもちゃんと回復するっていうのは奇跡のようなことかもしれなくて、神社とかに行ったらむしろちゃんとお礼を言わなきゃいけないのかもしれない。初日に休んだおかげで職場でパンデミックを起こさずにすんだし。3日間ほとんど食べられなくてダイエット効果もあったし。あまりはりきらずに出社日を迎えようと思います。

元気そうだねって言われる

急に寒くなったせいで、じきに落ち着くって思いたいけど体調がすこぶる悪い。寝返りも打てないほど、歩けないほどの痛みがおこって1日安静にしていたり。

 

1日安静に、って、1日もあったらいろんなことができそうなのに何もできなくてつらい。そっとそっと体勢を整えながら寝ていることしかできない。本ぐらい読めそうなんだけどなんとなく集中できない。パッと見で読みたい本はどんどん出てくるから、積ん読ばかり増えている。川上未映子さん編集の早稲田文学女性号も、わざわざ発売前から注文して届いているのに、重くて持ち上げられない。困った。

 

ふと思ったんだけど、私のように体調によってものが持てなくなったりする人に、音声読み上げみたいな機能は有効なのかな。といいつつ、私は常に目で活字を追っていたいタイプの活字中毒者なので耳からストーリーが入ってくるかどうかちょっとわからない。人の長い話を聞くのもちょっと苦手だしな。。

 

そんな感じなんだけど実生活では「元気そうだね」ってよく言われていて、つくづく見た目に出ない病気なんだなと思う。それがいいかどうかの判断は難しい。強いて言えば電車に乗るのもやっとだった頃に優先席に座りづらかったとかそういう不便はあったけど、総合的にみると見た目くらいは平気に見えているほうがいい気もする。本当に全身の関節がだめだった頃は、座ったが最後立ち上がるのが大変だったからかえって立っているほうがマシだったし、病名がわかると宗教とか健康食品とかを露骨にすすめてくる知人みたいな人がわらわらと出てきて面倒くさかったし。同情されることのメリットがあんまりわからない。

 

体調が悪い上にちょっと気がかりなことがいろいろ起きていて、横になっていてもあまり気が休まらないので隙をみてまた映画を観にいってみた。いつも観ているような高尚(?)なやつじゃなく、あんまり考えずにみられるようなタイプの。

 

『ミックス』を観たんだけど、すごくよかった。ガッキーかわいい。瑛太かっこいい。広末涼子ー!蒼井優ーーー!!!って見所がいっぱいで、ストーリーもよくて、最初はノリについていけるかな?と思っていたけど途中からちょっと泣きそうだった。後半の広末涼子のパートといったら!こういう、サプリメント的に映画を観るのは本質的じゃないとか普段は思いがちだけど、弱ってるときはとても有効だと思った。映画の力ってすごい。

 

映画といえば、普段海外に住んでる友達が帰国してて、何か日本的なことがしたいというのでずっと気になりつつ観ずにいた『ハイ&ロー ザムービー』の映画を観に行かない?と言ってみたら快く付き合ってくれたのでデビューしてきた。前後情報も何も知らずに観たから感想とかうまくいえないけどこちらも楽しめた。はまる人が多いのもよくわかって、でも関連コンテンツが多すぎてコンプリートはできなさそう。

 

他には『ダンケルク』とか。観終わったあと、逃げ疲れたね、と言いながらご飯を食べたりした。秋は体調が悪いな、ぱっとしないな、って思いながら横になってる時間が長かったんだけど、こうやって振り返るといろいろな体験をしていたり、インスタで見かけた激安なコートを衝動買いしてみたら軽くてあったかくて外出がこわくなくなったり、初めて栗のペーストを注文したから届くのが楽しみだったり、いいこともちゃんとあるから元気そうっていうのは案外その通りだったりするのかも。

『パターソン』を観たあとは世の中が素敵に見えて

ちょうど夕方くらいに終わる時間帯で観たからなんだけど、地下鉄の出口を上がって地上に出たら心臓がキュっとなるような綺麗な空の色にびっくりした。マジックアワー?夕焼け?言葉はいろいろあるけどどれでも表現できないような色合いで、こういうときにパターソンはノートを広げて詩を書くのかな、と思った。

 

もっともっと見ていたくて、数年ぶりに屋上にのぼり、夢中で写真を撮った。空の写真を撮るのはどのくらいぶりだろう。明らかに映画の効果。

 

この気持ちの満たされ感はなんなんだろう、と思いながら今日の買い物(茅野屋のだしとか)を片付けて、水切りかごに置いてあったルクルーゼを片付けて、と思った瞬間から事態は急変。

 

ルクルーゼは重くて、そんなことはもう何年も使っていて100も承知なんだけど、何を思ったか片手で蓋と本体を持ち上げてしまった。転がる蓋、かろうじてキャッチできたのは本体だけで、蓋は床にどんと落ちた。

 

キッチンの電気をつけるのが面倒でいつもつけていなくて、薄暗いような中で料理をしているんだけど、この時は焦って電気を点けなきゃ!床の様子を見なきゃ!!って片足で踏ん張ってスイッチを押そうとしたら変な角度で爪で押してしまったようで右手中指の、先週ネイリストさんが丁寧にチップオーバーレイを付けてくれた、ジェルネイルが吹っ飛んだ。

 

え、爪はがれた?って怖くてちょっと見られなかったんだけどおそるおそる目を開けたらチップオーバーレイの付けた部分がきれいになくなっていて、爪本体は無事だった。不幸中の幸い。

 

と思いきや床をチェックしなきゃ、ってまじまじと見たら床には白っぽい傷がしっかりとついていた。意味もなく布巾で拭いた。消えなかった。

 

なんかお腹が空いた、と急に思ってお姉ちゃんから前にもらって放置していたお菓子を食べた。水を飲むのも忘れて食べていたらむせてしまった。この時に自分が続けざまの出来事に動揺していると気づいた。

 

床に傷がついたのも、ケアしたてのネイルがとれてしまったのも、もっというと昨日セラミックの歯がとれてしまったことも、一つ一つがかなりショックなことだった。それでも何かが起こるたびにさっさと、とにかく最速のスピードで対処しなきゃと思いそうしてきた。多分それでは気持ちが置いていかれてしまう。

 

心のケアっていう言葉はそれほど好きじゃないけど、じっと座って元気が出るのを待つ、みたいなことがとても苦手な私は意識的に取り組まなきゃいけないんだと思う。『パターソン』は素敵な映画で、そんな映画を観られた1日は最高なはず!!とか言い聞かせないで、いいこともあったけど散々なこともあったな、的なフェアな現実認識を積み重ねることで、日常が奇跡、みたいな心境にたどり着けるのかもしれない。いいときはもちろん、元気がなかったり、美しいものをそう思えなくなった時とかにも繰り返し観たい映画でした。

世の中の進化とおいしいアボカドに出会う確率について

好きな食べ物は?と聞かれたら、迷わず「アボカドです!」と答えている。ある時期から、飲み会とかでそう答えると「あぁ、アボカドね。女子が好きなあれね(嘲笑)」みたいな反応をされることが多くなって、それでも負けずに言い続けている。

 

アボカドの最初の記憶は、近所のスーパーで200円で売っているアボカドを、母親が悩みながら買っていた姿。「200円するけど、みんなで食べられるし買っちゃおうか」みたいな会話をいつもした。

 

半分に切って、種があった部分の窪みにお醤油を注いで食べるシンプルな食べ方をしていた。4人家族だから、1個のアボカドを4人で分けることになり、半分にしたアボカドをお姉ちゃんと分け合って食べた。いつか一人で半分、なんなら全部食べてみたいな、と思いながら。

 

アボカドの食べごろ判定は難しく、まず色を見て、押してちょっと柔らかいかな、くらいがよいと教わった。それでも切ってみるとガシガシしていたり、種がうまくとれなかったり、外れのものに出会う確率は高かった。だからこそ、たまに出会う完璧に食べごろのアボカドを食べる時は幸せな気持ちでいっぱいになった。

 

卒業旅行はメキシコに行くことにした。スーパーで売っているアボカドはいつもfrom Mexicoと書いてあったから、私にとってメキシコはアボカドの名産地で、本場のアボカドはどんなに美味しいんだろう、そしてスーパーには食べごろのものが安くて大量に並んでいる日がいない、と期待に胸を膨らませた。

 

実際、メキシコのスーパーは入り口近くにアボカドが山積みされていて、しかも日本のように青いものだらけではなく、すぐに食べられる完熟具合のものばかりだった。天国にきたかと思った。でも私たちは重大な失敗を犯してしまった。お醤油を持ち込むのを忘れてしまっていた。

 

スーパーでアボカドを買い込んで安宿に戻り、アボカド、塩とレモン、アボカド、オリーブオイル、アボカド、マヨネーズ、ライムなどなどいろいろな組み合わせを試したけど、やっぱりいつものようにお醤油を合わせたらどんなに美味しいだろう、と思わずにはいられなかった。お店で食べるワカモレソースは最高に美味しかったけど。

 

社会人になり、一人暮らしを始めたとき、アボカドを一人でたくさん食べられることが嬉しかった。よくいう、メロンを一人でいっぱい食べたいとか、ホールケーキを、とか、そういうのが私の場合アボカドだった。

 

この頃になっても、食べごろのアボカドを見つけるのは難しかった。値段がだいぶ下がっていた時期もあって、120円で買えたりするんだけど、まだ青かったり小さかったりするものばかりで、切ってみるとまだ早かったり、真っ黒だったりした。

 

その後、八百屋さんで買えばいいということを知った。母親に教えられた「押してみてちょっとへこむもの」という見分け方は実はマナー違反で、当たり前だけどみんなが押すからそこが黒くなってしまうわけで、八百屋さんの野菜を勝手に手に取る人はいないから傷んでいるものが少ない。それに八百屋さんは目利き力があるから「いつ食べる?」と確認してから食べごろのものを選んで渡してくれる。数十円高くても外れがない分八百屋さんのアボカドの方が確実。フルーツ屋さんだと尚。

 

最近のアボカドは二極化してきた。異様に安くて100円を切るような値段で小さくて青いものと、150円-高いものではデパートや高級スーパーで300円くらいする「大きなアボカド」。小さいアボカドは散々失敗させられてきたので、大きな方を買うんだけど、スーパーのものはほとんどが押されて傷んでいるものが多く、どうしてもちょうどよいものに出会えない。冷蔵庫に常にアボカドが入っている生活がしたいのに、なかなか実現しない。

 

こんなに長々と書いているのは、つい先日もスーパーであれこれ深読みして選んだ珠玉の一個だったはずのアボカドが完熟を通り越していて指の跡もたくさんあって悲しい気持ちになったからで、もうこんな思いをしないためにはふつうのスーパーでアボカドを買うのはあきらめ、敷居高めで迂闊に手を触れる人がいないようなお店で買うしかないのかな。松屋の300円のアボカドとか、王子サーモンでなぜか売っていた大玉アボカドとかは極上のおいしさだったし。

 

世の中が進化して、果物の食べごろは確か機械(糖度計?)とかでわかるようになったと聞くけど、おいしいアボカドに出会える確率は私が子供の頃からそんなに変わってない気がする。収穫の時期と完熟に向かう時期、未だ流通する「押してみて」という習慣、そんな要素が絡まってなかなか改善しない。桃には「桃はデリケートなフルーツです。お手を触れないでください」というPOPがついていたりするんだからアボカドにもそういう表示をしてほしい。なんだかお客様の声みたいな投稿になってしまいました。