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美容液がもたらすドラマについて

気がつけば美容液のことを考えてる。今の肌の調子が悪いとかではなく、もっと劇的に最高に綺麗にしてくれるものがどこかにあるのでは?という期待を捨てられない。

 

数年前、SKIIにはまった時期があった。雑誌で見たセルミネーションオーラエッセンスといううすいピンク色のボトルが妙に気になって店頭に行き、肌年齢チェックをしてもらって気づいたら言われるがままに一瓶買っていた。

 

その日からSKIIのことばかり考えた。使用感は素晴らしく、つけた瞬間顔色がぱあっと明るくなった気がしたし、それまで美容液をつける習慣はなかった上に、一瓶1万円以上する化粧品を買ったのは初めてで、肌がぐんぐん綺麗になるかもという期待と、今後この商品を買い続けられるんだろうかという不安で胸がいっぱいになった。

 

しばらく、誰とランチに行っても「SKIIの美容液デビューしたんです!」と話すのが止められなかった。案外周りにSKII体験者が多かったのと、高級美容液の話は誰とでも盛り上がれることがわかったのが収穫で、SKIIの化粧水は香りに癖がある、意外と肌が荒れる、などなど今思えば有益な情報は十分耳に入っていた。

 

私がはまったのはセルミネーションオーラエッセンス自体ではなく、カウンターで毎回やってもらえる肌年齢カウンセリングだったのかもしれない。SKIIの美容部員さんは私の肌をとても褒めてくれた。キメ=29歳、ハリ、ツヤ=34歳、シミくすみ=35歳、シワ=33歳、トータルスコア33歳。「せっかくいいお肌なんだから、キープしたいですよね?これから秋冬にかけて肌には過酷なシーズンですから今からケアしていきましょう!」欠点克服より長所伸ばしが好きなのでセールストークがすっと入ってきた。

 

その前になんでこんな詳細を覚えているかというと、我ながら気持ち悪いんだけどその時いただいたスキンケアアドバイスシートを捨てられずに今も持っているからで、ただの転記。正確には3回分のスキンケアアドバイスシートが未だに手元にあり、3回目にデパートではなくマツキヨで測ってもらったスコアはキメ=28歳、ハリ、ツヤ=39歳、シミくすみ=44歳、シワ=39歳、トータルスコア37歳だから最初にマツキヨに行っていたらハマることもなかったかもしれない。

 

毎朝毎晩美容液を使って肌のコンディションの良さを実感したり人に話して気持ちが盛り上がったりしてるうちに、SKIIをフルラインで使ったらどんな奇跡が起こるんだろう?と思い始めた。夢中になるとポジティブな情報ばかり探しては肯定感を強めていく癖があるので思い立ってから実行するまでが早かった。何を削ればSKIIフルラインに投資できるかを毎日考えた。友達にも「SKIIをフルラインで使ってみようと思う」と話して絶句されたし、当時のメモには「SKIIを買ってくれる人なら誰でもいいから結婚したい」と書いてある。

 

SKIIはデパートでもマツキヨでも売っていて、マツキヨだと30%オフで買えるという情報を知り(美容液など、定価販売しかしていない商品もある)、美容液以外はマツキヨで買うことにした。洗顔料、ふきとり化粧水、化粧水、ふきとり用コットン。クリームは高すぎて買えないので今まで使っていたものにした。

 

興奮しながら家に帰り、お風呂の後順番に使った。化粧水は確かに強烈な香りがしたけど、この香りが効くのかも?とむしろやる気がでた。肌がワントーン明るくなった気がした。

 

肌の異変を最初に指摘したのは皮膚科医だった。身体にできた湿疹を診てもらっていたお医者さんが、「そんなことより顔どうしたの?」と聞いてきた。「肌荒れひどくない?化粧品変えた?」「変えたけど荒れるはずがないんです、SKIIなんです。。」「合わなかったんだねー。たまにいるから。ちなみに化粧品に好転反応とかないからね。すぐに使用を中止するしかないね。うちのクリニックでも基礎化粧品あるけど〜」ぺらぺらしゃべるお医者さんの言葉を聞き流しながら、やはりこれは肌荒れなんだろうか、頬とおでこと鼻にできたブツブツが日に日に増えてきている、SKIIを使うのをやめるなんて、、と落ち込んだ。

 

処分するにはあまりにも高額だったので、記念に母親にあげようかと思いついたけど、ひょっとしてたまたま私が購入した商品に問題があったのでは?とも思い、SKIIに問い合わせた。とても丁寧でてきぱきとしたお客様相談室の方に状況を詳しく聞かれ、商品が肌に合わなかったことを謝罪され、商品を店舗に返却したら返金していただけることになった。顔を見れば肌荒れは一目瞭然だったので、店舗でのヒアリングはすぐに終わり、持って行った購入品を返却し、もう一度丁重に謝罪をされて手ぶらで店をでた。秋の終わりにとても心細い気分で家に帰った。

 

今まで通りRMKを使いだしたら肌荒れはすぐに治った。劇的に肌が変わることはなくても、使っていて赤くなったりブツブツができたりしないだけですごい効果効能なんだと思い知り、RMKへの忠誠心が強くなった。それ以来スキンケアはずっとフルラインでRMKなんだけど、今年の夏にたまたま入ったジョンマスターオーガニックの店舗でシンピュルテの美容液サンプルをもらって使った瞬間から新しいドラマが始まって、付き合いの長いRMKと、最近知り合って新鮮なシンピュルテ(しかも私が使い始めてからよくいくルミネに店舗ができて?)との間で揺れる気持ちに耐えられずにもういっそのこと全く新しい人はいないかしらみたいな気分になってしまって。

最近は映画ばかり観ていて

夜は短し歩けよ乙女」を観に行った。原作を読んで熱狂的にはまった記憶があって、今観たら原作は平成18年(!)に初版が出ていてもう10年以上前っていうのがびっくりなんだけど、映画を観ての内容の覚えていなさもびっくりだった。炸裂するファンタジー。私はこの話のどこに熱中していたんだろう。

 

どのくらいはまっていたかというと、森見登美彦が書いたものは全て読みたくて、本はもちろん、この門をくぐるものは一切の高望みを捨てよ、ってタイトルを覚えていることにまた驚いたけどブログも読んで、当時はツイッターがまだなかったからネットでいろいろと探して読んでいたし京都の地名を覚えようとしたりした。仕事にかこつけてインタビューを設定したり、それなのに当日体調不良で出席できずに悔しい思いをしたり、青春か?っていうくらいの夢中度合いで。

 

黒髪の乙女と先輩、なぜか詭弁論部については強烈に覚えていたけどあんなダンスがあったことは記憶にない。

 

気づけば森見登美彦を読まなくなっていた。いつからか世界観に入りこむことができなくなり、ちょっと怖い感じの作風の作品を読んだのもあり敬遠するようになった。「夜は短し歩けよ乙女」や「走れメロス」などは好きになったピークの時に読んだ小説だから今読んでも面白いのでは?と思いつつ何度も手元に持ってきたけどまた読む気になれない。好きだったものがすでに面白いと思えないと知ることがこわいのかもしれない。

 

昔からずっと好きなものを大切にしたいけどもう観たり読んだり聞いたりが恥ずかしいものがあって、それが成長なのかもしれないけど好きなものが減ったみたいでちょっとさびしい。

 

3月のライオン」も観た。誰かがすすめていたから内容を全く知らずに観た。将棋の話で、主人公の零くんが生きていくために将棋で強くなろうとして、強さゆえに孤独になってしまうんだけど、やっぱり将棋があるから生まれる人とのつながりがあり、どんどん成長していく、みたいな気持ちのいい2時間強で、この話はものすごく努力して何かに秀でてそれゆえの孤独を味わったことのある人には強烈に刺さるんだろうな、と思った。幸か不幸かここまで何かに長い間取り組んだことがないので零くんにはあまり共感できず、こういう天才を周りで支えようとする人たちに感情移入してしまった。あとはベテラン棋士役の人たちが自分がきゃあきゃあ言っていた俳優ばかりで、自分はもうこの年齢層に入っているんだ、仕事でしっかりしなきゃな、とかも思った。明日はまた月曜日。

続編を観て感傷にひたる日

トレインスポッティング2を観に行った。20年前に観たな、強烈な印象だったな、ユアンマクレガー、レントン、くらいは覚えてたけど他の記憶は曖昧なままで。

 

始まりから終わりまで「うわぁぁぁぁ」って思い続けて映画が終わった。言葉にできない感情。予習(?)をした方がよかったのかしなくてよかったのかわからないけど、当時渋谷の確かシネマライズに観に行った当時の気持ちというかテンションがはっきりと思い出されての感情。

 

トーリーも音楽もキャストも語ることはいろいろあるんだろうけど感情のよみがえり方にびっくりした。私にとってこんな映画他になかった気がする。帰ってからSpotifyでひたすら1996年のトレインスポッティングのサントラを聴いている。

よく会う人に見せる姿は

突然「ご飯いかない?」と誘ってくる系の友人がたまたま同時に帰国したせいで今週はわりとちゃんとした格好で過ごした。新年度だし、気分がいいのでしばらく続けたいけどきっと月曜日からはダレてしまいそう。

 

いつも謎なのは、試着は真剣にするタイプなのにそれらを着て友達には会えないお洋服がうちにはたくさんあること。鏡の前でかわいい⭐️と思っていた服も、ファッション系のお仕事をしている友達、金融系のお仕事をしている友達、美術系のお仕事をしている友達などなどに会う時はなんかピンとこない。ということはその服はそれらの人たち以外の人に向けた服なのかな?と思うけどターゲットは一体誰なんだろう。

 

会社は仕事をするところだからOLみたいな服が正解で、そのことが腹落ちするまで随分時間がかかった。服装が自由な会社がゆえの個性の表現等等に逆に縛られていた気がする。去年読んだ進藤やす子の「お買い物のルール」に、30代になったらコンサバを意識するべき、とあって、なるほどな、と思った。女性誌を読むと「こなれ感」等の目標が掲げられているけど、「こなれてるな」と思われるより直球で「素敵だな」と思われた方がゴールに近い。自分の個性を最大限に活かしつつ万人が正解、と思う姿を目指すのが大人のファッションなのかもしれない。

 

人に会う時のお洋服に関しては、だいたいわかってきた気がするけど、毎日の会社に着ていく服は相変わらず不安定で、かわいいんだけどオフィスではカジュアル過ぎると気付くことがけっこう多い。サイズが合っていないこともしばしば。

 

20代の頃はわりとお洋服を褒められる機会が多かったけど、30代になってからめっきり減った。服を選ぶ時の気持ちというかテンションというか自信が全く違うので、つくづく人は見る目があると思う。20代の頃は人が買わないような服を妙な使命感を持って着こなすことに全力を注いでいた。若さで着こなしていた部分も大きかったと思う。何よりあまり人の目を気にせず、自分の体型や個性を際立たせるものを楽しんで選べていたと思う。楽しんでいる姿は人から見ても心地よいものだったのかな。

 

30代になって、試着室で考えるのはこの歳でこれを着ていいのか?みたいな逡巡が大半になってしまった。除外アイテムが増えた。似合う似合わないより間違っていないかが気になる。正解が知りたい。雑誌を読まなくなった代わりに、以前は必要性がよくわからなかったファッション指南本を読むことが増えた。

 

コンサバを意識するようになってから、ブラウスを着るようになった。家で洗えてシワにならないなど、とても機能的で、通勤着に向いている。歩きやすいヒールの靴のブランドも見つけた。タイトスカートの選び方が上手になった。ワンピースを普段にも恥ずかしがらずに着られるようになった。

 

社会人1年目が通過するようなステップを、30代も後半になってからひとつひとつ体験している。20代はモードを意識した自由なファッション、30代でコンサバ、その先の40代はどうなるかわからないけどそれはその時に考えればいいことで、まずは今のきちんと路線を極めてみたいと思う。ちなみにきちんと路線のお洋服の値段はとてもお財布に優しくて、20代の頃にこっち路線で過ごしていれば貯金もたまって人からも好感を持たれ人生がスムーズに行ったのかなと思うと少しだけ、本当に少しだけ後悔の気持ちが芽生えてしまうのだけど。

砂糖。少量。緊張。計量。

アリがくるのがとてもこわかった。前の前に住んでいた家は内階段のオートロックだったのに密閉性が低かったのか、気づいたら部屋の中にアリの行列がいた。もういい年だったのにパニックになり車で一時間ほどかかるところに住んでいる親に電話してしまった。アリコロリみたいな身も蓋もないネーミングの薬剤?を持ってきてくれた親は「もうしょうがないわね」と言いながら笑っていた。アリコロリがすぐに効いたのかどうか、覚えていない。

 

この時アリが砂糖の瓶をめがけてきていた気がして、実際どうだったのかはもう曖昧なんだけど、家の中に砂糖を置くことがこわくなった。それ以来スティックシュガーを使っている。

 

クックパッド有料会員になってから、砂糖を使う機会が増えた。自己流の料理だとほとんど使わなかった砂糖だけど、みなさんのレシピ、特に和食のタレ系にはよく登場した。その度にスティックシュガーを何本も空けながら軽量した。大さじ2以上になると面倒くささが増す。

 

八百屋さんでイチゴを2パック400円にしてもらった。意気揚々とカゴに入れて買ったんだけど、考えてみたら2パックのイチゴを食べるのは簡単ではなく、特に今は春眠暁を覚えずの時期だから朝イチゴを食べる余裕が本当にない。ジャムにしなきゃ。

 

ジャムのレシピを検索するとぎょっとするのが砂糖の量で、だいたい100gから、という感じ。スティックシュガーは一袋3g、50本入りだから全部入れてやっと150g。その本数を開封するのは無理なのでついに砂糖を買うことにする。スティックシュガーの前はブルガリアヨーグルトについてきていたグラニュー糖をためて使っていたけど、いつの間にかそのシステムはなくなっていた。

 

とにかく一番小さいサイズを、と探したけど近所のスーパーでは500gの上白糖が最小サイズで、保管がこわそうな袋入り。これじゃ絶対アリがくる。家にあるジップロックコンテナに入りますように、と祈るような気持ちで買って帰りジャムに入れる100gを取り分けてから投入すると、ぴったりの量だった。密閉成功。

 

スティックシュガーをやめてみると、今までよくあんなに面倒なことをしていたんだろうという気になる。砂糖を使うレシピの場合、分量を確認し、前もって開封してお皿に出しておく必要があった。鍋のそばであたふたするとコンロにこぼしてしまったり、濡れた手で触って袋がくしゃくしゃになってしまうから。今はジップロックの蓋を開け、大さじですっとすくうだけで完了。

 

そんな感じで快適な砂糖使用が始まったら、妙に甘い料理が完成することが増えてしまった。これまで砂糖はレシピを確認し、スティックシュガーをその分量分取り出し、空けてから余ると困るので過不足がないようにきちんと計算してから使っていた。今はざっと見てさくっとすくってぽんと入れている。2人分のレシピから1人分を作ろうとしていて、他の材料はきちんと1/2分を計量していても、砂糖だけレシピ通り入れてしまったり。

 

密閉容器は存在するしアリはこないし家に砂糖があることはふつうだしこれからはスーパーで買う砂糖がない、と途方にくれなくていい。小麦粉と砂糖があれば、ふと思い立ってお菓子だって作れる。それなのに砂糖を使うことに特別感があって、大さじを揺らさないように気をつけながらスティックシュガーの袋から次々と注いでいたころが既に懐かしい。このまま大容量の砂糖に慣れると、甘いものは特別なもの、という感覚が薄れて際限がなくなってしまうんじゃないか、みたいな不安も生まれている。それでも部屋中を甘い香りでいっぱいにさせながら作ったいちごジャムは粒がごろごろしてとても美味しくて、手間の割に出来上がりの分量はほんの少しだし、アオハタのジャムだって十分美味しいんじゃないかとも思うけどまた来年は作ろうと思うし、私のキッチンの砂糖が充実するきっかけを与えてくれた八百屋さんにはいつもながら感謝しかない。

少し元気がない日にサボン

サボンとの付き合い方が年々変わる。今はRose Teaの香り。大きなジャー。うすいピンク色のボディスクラブ。浴室の棚が定位置。

 

最初に買ったサボンは不当に高いと感じながら買った。重くて大きなジャー。さわやかな香りのするうすい水色のスクラブ。お風呂で割らないよう気をつけながら持って入り、入浴後は水気を拭き取って洗面所にしまった。肌がつるつるすべすべになる感触は素晴らしかったのにあっという間に使わなくなり、気付くと1年経っていた。表面のオイル分とソルト部分の分離が、1年経つとなんだか気持ち悪くなり、新聞紙に染み込ませながら丁重に処分したのを覚えている。しばらくサボンのお店には近寄らなかった。

 

数年後、友達のプレゼントにハンドクリームを買おうとサボンのお店に寄ることになった。そこで出会ったのが小さなジャーに入ったスクラブシリーズ。ちょうどボディケアをしないと腕も足もカサカサだな、と思っていたタイミングだったし、このサイズなら使いきれるのでは?という期待がふくらんだ。ついでに、ボディクリームより軽い使い心地のソルベという商品も見つかった。初夏だったと思う。

 

価格帯は変わっていないはずなのに、それほど高いと感じずに支払いをした。効果と、ボディケアは何を買っても続いたことのない私でも、今度こそボディケアを続けることができるかも?という期待感が高まりわくわくした。スクラブとソルベとの香りの相性を考えるのも楽しかった。

 

小さなジャーに入ったスクラブを持ってお風呂に入ったとき、棚に置いておけると気づいた。今まで習慣づかなかったのはいちいち持って入り、拭き取って洗面所に戻す手間が面倒だったからに違いない。

 

この作戦は成功して、スクラブが習慣になった。次の日に会う人や、洋服をイメージしながら使ったり使わなかったり。ブランドが推奨する週2回は無理でも、週1回は使うようになった。お風呂を出ると、やわらかくなった肌をキープしたく自然とソルベも塗るようになる。ソルベは本当は毎日が必須なんだろうけどそれはなかなか。この頃は予定が多く入っていて、毎日が充実していた。

 

小さいジャーを使い切ったので、またサボンの店舗に行った。そのときおすすめされたRose Teaという香りが気に入って、でもその香りには小さいジャーが用意されていなかった。せっかく小さいジャーなら使いきれる自信がついたのに、どうすればいいんだろう。その時ピンときた香りはそのRose Teaだけだった。結局、もう一度大きなジャーにチャレンジすることにした。一緒に、濡れた肌にもそのまま塗れるボディオイルも勧められて買ってみた。

 

大きなジャーを開封する頃、私の日常は平穏というか退屈に戻っていた。予定に合わせてスクラブをする日を設定していては、頻度が減ってしまう。大きなジャーに入ったこのうすいピンク色のスクラブは、使いきれるんだろうか。目に入るたびに少しだけ気が重くなっていた。

 

そんなある日、疲れ果てて帰宅後の入浴中、品質確認、みたいな感じでなんとなくジャーを開けてみた。いつも通りいい香りがする。せっかくなので使ってみる。次第に気分はすっと晴れてボディオイルも忘れずに使い、甘い香りの中で気分よく眠ることができた。

 

翌朝すっきりと目覚めて、なんだか大発見をした気になった。わくわくする気分の時にサボンを使っていたけど、逆でもいいのかもしれない。ちょっとした疲れなら、お風呂中に広がるいい香りが癒してくれそう。おまけに肌もすべすべになり自然と気分もあがっていいことばかり。これからはぱっとしない気分の時にもがんがん使っていこう、大きなジャーにしてよかった、むしろ週2で使うようになってあっという間になくなっちゃうかも?みたいな妄想を広げたのは完全に杞憂で、結局は週1くらいの頻度に落ち着いて今に至る。

流し見が得意じゃなくて

テレビをこまめに消してしまう。ちょっと別のことをしているな、と気付くとすぐに消す。誰かからメールがきて、返信するときもだいたいそう。朝の支度の時間以外は、テレビをつけているときは見ているとき。

 

男の人と付き合うときにびっくりするのが、テレビをつけたまま電話で話す人がとても多いことだ。話がこんがらないのかな、と思うけど平気みたい。女の人のほうがマルチタスクに強いというけど残念ながら私には当てはまらず、立ち止まらないとスマホを操作できないから、それどころか座らないとちゃんと考えられないから駅のベンチによく座る。駅に貼られた「歩きながらのスマホ操作は危険ですのでやめてください」ポスターを一番実践しているのは私なんじゃないかと思う。

 

見るときしかテレビをつけない家で育った。夜7時までのテレビは禁止で、親の許可した番組しか見られず、それぞれが見たい番組を新聞のテレビ欄で赤いペンや青いペンで四角く囲んでおくような家だった。今思えば子育てノウハウ的な何かを参照していたのかもしれない。習慣というのは強力で、もう十年以上一人暮らしをしているけど、昼間テレビをつけることに罪悪感があるし、常に自分が本当にこの番組が見たいのか気になり、見始めてもすぐに消してしまう。

 

お正月に実家に帰ると毎回驚く。昼間何時に帰ってもつけっぱなしのテレビ。お茶を出してくれる前にテレビのリモコンを渡される。私の受けてきた教育はいったい何だったのか。

 

姉から姪っ子のかわいい動画が送られてくる。歌ったり踊ったり、本当に芸達者でかわいらしい。それでも私が気になるのは背後に鳴り響くワイドショーのジングルの方で、あれ、お姉ちゃんはテレビつけっぱなし生活をしているんだな、と毎回思う。

 

これはテレビだけの問題じゃないのかもしれなくて、例えば私は人といるときにスマホを見ることがものすごく苦手。人がどうしていても気にならないのに、自分は目の前の人以外とコミュニケーションをとることがどうしてもできない。一見いいことに思えるけど多分逆で、私がいつも人付き合いに疲れ果ててしまうのは人と真剣に向き合いすぎるからなんだと思う。

 

「テレビの流し見が苦手で〜」と昔の上司に話したことがある。ずっと最難関の学校を卒業してきたその方は、「それはまだ余裕があるからだ」と言い切った。限られた時間の中でものごとを広く知ろうと思ったら、真剣に見ている以外の時間も情報を浴びていなければ追いつかない。政治経済スポーツ全ての話題をカバーしようと思ったら確かにそうだ。私はスポーツニュースが始まるとすぐにテレビを消してしまう。

 

常に100%没頭していないといけないなんてことはなくて、例えば一緒にいるときにお互いが好きなことをしていて、たまに共有するくらいでいいのかもしれない。テレビも、たまたまつけっぱなしにしていたら始まった番組で何か発見があるかもしれないし、そもそもそんなに毎回毎回発見があると思っていることの方がどうかしている。

 

新聞を読めなくて困っていた。ちゃんと読もうと思ってためて、結局読まずに捨ててしまう。何度も休会と再開を繰り返している。そのちゃんと、をやめてみた。

 

疲れているときは、エレベーターの中で見出しだけみてそのままにしたり、時間のある日はじっくり読んだりする。たまに知らないスポーツについて読み込んだ上にネットで調べたり、家庭欄の話題に癒されたり。新聞から与えられているように感じていた「圧」が減った。

 

時代がどう変わっても、私のように興味のあることにしか目を向けないタイプの人こそ、テレビや新聞みたいに編集されて一覧できる情報に触れる必要があるんだと思う。必要なのは、くまなく見ようとか、あとで落ち着いてゆっくりみたいなスタンスじゃなく、そのときに吸収できる分をさらっと、みたいな感じなんだろうな。昔占い師をやっているマダムと、「あなた、真面目なタイプね」「そんなことありません」「うふふ。真面目な人は絶対にそう答えるのよ♪」という会話をしたのを思い出す。