kate100s’s diary

百野毛糸の日記です。

元気そうだねって言われる

急に寒くなったせいで、じきに落ち着くって思いたいけど体調がすこぶる悪い。寝返りも打てないほど、歩けないほどの痛みがおこって1日安静にしていたり。

 

1日安静に、って、1日もあったらいろんなことができそうなのに何もできなくてつらい。そっとそっと体勢を整えながら寝ていることしかできない。本ぐらい読めそうなんだけどなんとなく集中できない。パッと見で読みたい本はどんどん出てくるから、積ん読ばかり増えている。川上未映子さん編集の早稲田文学女性号も、わざわざ発売前から注文して届いているのに、重くて持ち上げられない。困った。

 

ふと思ったんだけど、私のように体調によってものが持てなくなったりする人に、音声読み上げみたいな機能は有効なのかな。といいつつ、私は常に目で活字を追っていたいタイプの活字中毒者なので耳からストーリーが入ってくるかどうかちょっとわからない。人の長い話を聞くのもちょっと苦手だしな。。

 

そんな感じなんだけど実生活では「元気そうだね」ってよく言われていて、つくづく見た目に出ない病気なんだなと思う。それがいいかどうかの判断は難しい。強いて言えば電車に乗るのもやっとだった頃に優先席に座りづらかったとかそういう不便はあったけど、総合的にみると見た目くらいは平気に見えているほうがいい気もする。本当に全身の関節がだめだった頃は、座ったが最後立ち上がるのが大変だったからかえって立っているほうがマシだったし、病名がわかると宗教とか健康食品とかを露骨にすすめてくる知人みたいな人がわらわらと出てきて面倒くさかったし。同情されることのメリットがあんまりわからない。

 

体調が悪い上にちょっと気がかりなことがいろいろ起きていて、横になっていてもあまり気が休まらないので隙をみてまた映画を観にいってみた。いつも観ているような高尚(?)なやつじゃなく、あんまり考えずにみられるようなタイプの。

 

『ミックス』を観たんだけど、すごくよかった。ガッキーかわいい。瑛太かっこいい。広末涼子ー!蒼井優ーーー!!!って見所がいっぱいで、ストーリーもよくて、最初はノリについていけるかな?と思っていたけど途中からちょっと泣きそうだった。後半の広末涼子のパートといったら!こういう、サプリメント的に映画を観るのは本質的じゃないとか普段は思いがちだけど、弱ってるときはとても有効だと思った。映画の力ってすごい。

 

映画といえば、普段海外に住んでる友達が帰国してて、何か日本的なことがしたいというのでずっと気になりつつ観ずにいた『ハイ&ロー ザムービー』の映画を観に行かない?と言ってみたら快く付き合ってくれたのでデビューしてきた。前後情報も何も知らずに観たから感想とかうまくいえないけどこちらも楽しめた。はまる人が多いのもよくわかって、でも関連コンテンツが多すぎてコンプリートはできなさそう。

 

他には『ダンケルク』とか。観終わったあと、逃げ疲れたね、と言いながらご飯を食べたりした。秋は体調が悪いな、ぱっとしないな、って思いながら横になってる時間が長かったんだけど、こうやって振り返るといろいろな体験をしていたり、インスタで見かけた激安なコートを衝動買いしてみたら軽くてあったかくて外出がこわくなくなったり、初めて栗のペーストを注文したから届くのが楽しみだったり、いいこともちゃんとあるから元気そうっていうのは案外その通りだったりするのかも。

『パターソン』を観たあとは世の中が素敵に見えて

ちょうど夕方くらいに終わる時間帯で観たからなんだけど、地下鉄の出口を上がって地上に出たら心臓がキュっとなるような綺麗な空の色にびっくりした。マジックアワー?夕焼け?言葉はいろいろあるけどどれでも表現できないような色合いで、こういうときにパターソンはノートを広げて詩を書くのかな、と思った。

 

もっともっと見ていたくて、数年ぶりに屋上にのぼり、夢中で写真を撮った。空の写真を撮るのはどのくらいぶりだろう。明らかに映画の効果。

 

この気持ちの満たされ感はなんなんだろう、と思いながら今日の買い物(茅野屋のだしとか)を片付けて、水切りかごに置いてあったルクルーゼを片付けて、と思った瞬間から事態は急変。

 

ルクルーゼは重くて、そんなことはもう何年も使っていて100も承知なんだけど、何を思ったか片手で蓋と本体を持ち上げてしまった。転がる蓋、かろうじてキャッチできたのは本体だけで、蓋は床にどんと落ちた。

 

キッチンの電気をつけるのが面倒でいつもつけていなくて、薄暗いような中で料理をしているんだけど、この時は焦って電気を点けなきゃ!床の様子を見なきゃ!!って片足で踏ん張ってスイッチを押そうとしたら変な角度で爪で押してしまったようで右手中指の、先週ネイリストさんが丁寧にチップオーバーレイを付けてくれた、ジェルネイルが吹っ飛んだ。

 

え、爪はがれた?って怖くてちょっと見られなかったんだけどおそるおそる目を開けたらチップオーバーレイの付けた部分がきれいになくなっていて、爪本体は無事だった。不幸中の幸い。

 

と思いきや床をチェックしなきゃ、ってまじまじと見たら床には白っぽい傷がしっかりとついていた。意味もなく布巾で拭いた。消えなかった。

 

なんかお腹が空いた、と急に思ってお姉ちゃんから前にもらって放置していたお菓子を食べた。水を飲むのも忘れて食べていたらむせてしまった。この時に自分が続けざまの出来事に動揺していると気づいた。

 

床に傷がついたのも、ケアしたてのネイルがとれてしまったのも、もっというと昨日セラミックの歯がとれてしまったことも、一つ一つがかなりショックなことだった。それでも何かが起こるたびにさっさと、とにかく最速のスピードで対処しなきゃと思いそうしてきた。多分それでは気持ちが置いていかれてしまう。

 

心のケアっていう言葉はそれほど好きじゃないけど、じっと座って元気が出るのを待つ、みたいなことがとても苦手な私は意識的に取り組まなきゃいけないんだと思う。『パターソン』は素敵な映画で、そんな映画を観られた1日は最高なはず!!とか言い聞かせないで、いいこともあったけど散々なこともあったな、的なフェアな現実認識を積み重ねることで、日常が奇跡、みたいな心境にたどり着けるのかもしれない。いいときはもちろん、元気がなかったり、美しいものをそう思えなくなった時とかにも繰り返し観たい映画でした。

世の中の進化とおいしいアボカドに出会う確率について

好きな食べ物は?と聞かれたら、迷わず「アボカドです!」と答えている。ある時期から、飲み会とかでそう答えると「あぁ、アボカドね。女子が好きなあれね(嘲笑)」みたいな反応をされることが多くなって、それでも負けずに言い続けている。

 

アボカドの最初の記憶は、近所のスーパーで200円で売っているアボカドを、母親が悩みながら買っていた姿。「200円するけど、みんなで食べられるし買っちゃおうか」みたいな会話をいつもした。

 

半分に切って、種があった部分の窪みにお醤油を注いで食べるシンプルな食べ方をしていた。4人家族だから、1個のアボカドを4人で分けることになり、半分にしたアボカドをお姉ちゃんと分け合って食べた。いつか一人で半分、なんなら全部食べてみたいな、と思いながら。

 

アボカドの食べごろ判定は難しく、まず色を見て、押してちょっと柔らかいかな、くらいがよいと教わった。それでも切ってみるとガシガシしていたり、種がうまくとれなかったり、外れのものに出会う確率は高かった。だからこそ、たまに出会う完璧に食べごろのアボカドを食べる時は幸せな気持ちでいっぱいになった。

 

卒業旅行はメキシコに行くことにした。スーパーで売っているアボカドはいつもfrom Mexicoと書いてあったから、私にとってメキシコはアボカドの名産地で、本場のアボカドはどんなに美味しいんだろう、そしてスーパーには食べごろのものが安くて大量に並んでいる日がいない、と期待に胸を膨らませた。

 

実際、メキシコのスーパーは入り口近くにアボカドが山積みされていて、しかも日本のように青いものだらけではなく、すぐに食べられる完熟具合のものばかりだった。天国にきたかと思った。でも私たちは重大な失敗を犯してしまった。お醤油を持ち込むのを忘れてしまっていた。

 

スーパーでアボカドを買い込んで安宿に戻り、アボカド、塩とレモン、アボカド、オリーブオイル、アボカド、マヨネーズ、ライムなどなどいろいろな組み合わせを試したけど、やっぱりいつものようにお醤油を合わせたらどんなに美味しいだろう、と思わずにはいられなかった。お店で食べるワカモレソースは最高に美味しかったけど。

 

社会人になり、一人暮らしを始めたとき、アボカドを一人でたくさん食べられることが嬉しかった。よくいう、メロンを一人でいっぱい食べたいとか、ホールケーキを、とか、そういうのが私の場合アボカドだった。

 

この頃になっても、食べごろのアボカドを見つけるのは難しかった。値段がだいぶ下がっていた時期もあって、120円で買えたりするんだけど、まだ青かったり小さかったりするものばかりで、切ってみるとまだ早かったり、真っ黒だったりした。

 

その後、八百屋さんで買えばいいということを知った。母親に教えられた「押してみてちょっとへこむもの」という見分け方は実はマナー違反で、当たり前だけどみんなが押すからそこが黒くなってしまうわけで、八百屋さんの野菜を勝手に手に取る人はいないから傷んでいるものが少ない。それに八百屋さんは目利き力があるから「いつ食べる?」と確認してから食べごろのものを選んで渡してくれる。数十円高くても外れがない分八百屋さんのアボカドの方が確実。フルーツ屋さんだと尚。

 

最近のアボカドは二極化してきた。異様に安くて100円を切るような値段で小さくて青いものと、150円-高いものではデパートや高級スーパーで300円くらいする「大きなアボカド」。小さいアボカドは散々失敗させられてきたので、大きな方を買うんだけど、スーパーのものはほとんどが押されて傷んでいるものが多く、どうしてもちょうどよいものに出会えない。冷蔵庫に常にアボカドが入っている生活がしたいのに、なかなか実現しない。

 

こんなに長々と書いているのは、つい先日もスーパーであれこれ深読みして選んだ珠玉の一個だったはずのアボカドが完熟を通り越していて指の跡もたくさんあって悲しい気持ちになったからで、もうこんな思いをしないためにはふつうのスーパーでアボカドを買うのはあきらめ、敷居高めで迂闊に手を触れる人がいないようなお店で買うしかないのかな。松屋の300円のアボカドとか、王子サーモンでなぜか売っていた大玉アボカドとかは極上のおいしさだったし。

 

世の中が進化して、果物の食べごろは確か機械(糖度計?)とかでわかるようになったと聞くけど、おいしいアボカドに出会える確率は私が子供の頃からそんなに変わってない気がする。収穫の時期と完熟に向かう時期、未だ流通する「押してみて」という習慣、そんな要素が絡まってなかなか改善しない。桃には「桃はデリケートなフルーツです。お手を触れないでください」というPOPがついていたりするんだからアボカドにもそういう表示をしてほしい。なんだかお客様の声みたいな投稿になってしまいました。

ルミネカード10%オフはお祭り

毎回踊らされて、ふと冷静になってみると本当に得だったのかな?買い物の量が増えただけなんじゃないかな?疲れて友達とお茶したお金でプラスマイナスゼロなのでは??っていうような疑問がぐるぐるするイベント、ルミネカード10%オフ期間がやってきた。

 

毎回戦略をたてて実行して後で反省をするんだけど、今回はとてもうまくやれたんじゃないかと思う。

 

棚ぼたというか、次のファンデーションの候補としてアディクションがあったので店舗を検索したらルミネの上の@Cosmeストアにあることが分かって、普段行かないフロアに行ってみたらクレドポーボーテのカウンターを見つけた。クレドポーボーテといえば以前も書いた話題のファンデーション:ル・フォンドゥタンが発売されて1ヶ月ほど経ったところで、3万円というお値段と10%オフという期間の相性の良さにちょっとだけ身震いがした。

 

店内は10%オフ目当ての女性たちでとても混雑していて、でもクレドポーボーテのメイクコーナーにル・フォンドゥタンの画像を見つけて凝視していたら店員さんが「ご案内しましょうか」と言ってくれた。

 

「ル・フォンドゥタンも売っていますか」と聞くと「ございます。ご存知なんですね!」と微笑んでくれた。よかったらお感じだけでもお試しください、といってカウンターに案内される。正直以前銀座シックス内にあるクレドポーに行ったときのゴージャス感は全くなく、カウンターの上は雑然としていて置いてあるティッシュもなんだか黄ばんだような色合いだったのが気になった。でもそんなことは言っていられない。なにしろ3万円の買い物だから、10%オフは大きい。

 

と、名より実みたいなことを言っているけど、普段の私は雰囲気重視派で、高いものほど買い物をする空間が大事、とか思っているんだけど、この時はなぜかモードが違った。買いたいものも気持ちもほぼ決まっていて、きっかけを探していただけという状態だったからかな。

 

今回の冒険はお値段もそうだけど、トーンを一段落としてもらった色味を買う、ということもあった。私は肌色が明るい方なんだけど、一番明るい色味でも一段濃い色味でもいける、と言われて、確か前に読んだメイクの本に、「ファンデーションは白く見せるためじゃなく、肌をきれいに見せるために塗るもの。迷ったらワントーン暗い色を」と書いてあった気がしてそうお伝えした。カバー力を期待するなら一段濃い色味ですかね、片頬におつけしてみましょうか、といってエプロンをかけられ、顔の半分をクレンジングしてもらい下地をつけてからファンデをのせてもらった。

 

一段濃い色味でも首から浮くことはなく、というか肌のアラが一切消えるようでそれでいてツヤも素肌感もあってその仕上がりにびっくりした。一目で購入を決め、お客様カードへの記入とかそういうのを片付けてレジに向かった。自分で。

 

デパートのクレドポーボーテなら座っている間に全てが完結するんだろうな、ってことが全てセルフで行われた。レジ袋はご利用ですか?という質問は3万円のお買い物にはあまりに不釣り合いで、思わず笑ってしまった。3万円のファンデーションはプラスチックの緑色のカゴに入れられ、クレドポーのスキンケアのサンプルも「すみません、袋が切れてて〜」と言ってバラのまま入れられた。レジに並んでいるとさっきの担当の店員さんが「袋が見つかりました〜」と言ってまとめてくれた。よかった。

 

ルミネカードでお会計を済ませ、@Cosmeの紙袋を持ってお店を出た。化粧品は気分が大事な買い物だから、ゴージャス空間で買った方がよかったのか、でもモノは一緒だからここは実をとって正解だったんじゃないか、なにしろ10%オフは大きい、と、ごちゃごちゃ考えながらエスカレーターに乗って一階まで降りた。この日東京は天気が悪くて、おやすみの日だったけど入り口近くのサボン以外はわりと空いていた。いつも買っている基礎化粧品を最低限の数だけ買い(まとめ買いは収納スペースに困るし、違うものを使いたくなった時に持て余すことが何度もあった)、何かを成し遂げた気分になってルミネを出て電車に乗った。今回は100点、という気持ちで。

 

振り返ることが苦手だった。そのときの気分で行動しがちで、だから振り返ろうにも「だってあのときはすごくそうしたかったから」以外の分析ができずに年を重ねてしまった。今年に入ってからちゃんと定量的に検証することをし始めた。難しいことではなく、例えば今回なら10%オフというのは金額のことだから、具体的にいくらのメリットがあるかを計算してから行動する、みたいな。「この機会に何かを見つけよう」じゃなく、「欲しかったものをこの機会に買う」が正解なのかも。お会計を待つ時間とか、そういうコストも全部考えつつ。そうなると重要なのが日頃から「今度これ欲しいな」と意識しておくことと、思い立ったらすぐに手に入れようとしないことかもしれない。とはいえ今回の10%オフ期間の成功はル・フォンドゥタンで美肌を手に入れることだから、そのためにスキンケアも頑張って食事にも睡眠にも気をつけて〜って日常が活性化される感じがまさにお祭りみたいで。

私たち、別れる方がお互いのためにいいと思って

ずっと憧れていて、出会った時は本当にうれしくて、しかもあちらから「どうぞ!」っていう感じで敷居低めにしてくれて、一緒に過ごすのを本当に心待ちにしていたんだけど、いざ一緒にいてみると半日もたたずにつらくてつらくて心臓が痛くなるような感じまでしてきてこの関係を解消しようか考えている......。靴の話です。

 

ポール・アンドリューの靴、痛い!!!

めっちゃ痛い!!!!!

 

一目惚れみたいに出会って、衝動買いもいいところだったポインテッドトゥのパンプス。ソールも貼って雨が降らなさそうな日を吟味して、そんなに遠くに行かない日に履いてみた。

 

前にも書いたけど私にとっての一日履けるパンプスといえばペリーコのラウンドトゥで、その型を買い足して買い足して生きてきた感じ。ポール・アンドリューの靴は見た目が美しすぎて、もう、なんなら痛くてもいいや、くらいの勢いで買ってしまった。思い返せば買わない決断をするタイミングはいくらでもあって、いつものサイズ36.5が売り切れで36しかなかったこととか、試着直前に足がつったとか、全身でウォーニングを出していてくれたのかもしれないのに無視してごめんね直感。

 

痛みで気が遠くなりながら、なんとか関係を続けられないか考えてみた。

 

脚はとってもきれいに見えるし?→痛そうで顔がこわいから無理。

 

今日は黙々と歩いてるから、誰かと一緒とか楽しいシーンでは気が紛れて大丈夫なのでは?→人と一緒にいて起こるつらいことがあるはずなのに、ベースが靴が合わず足が痛いっていう状態はコンディション悪すぎて無理。

 

結論:足が痛くてもいいシチュエーションなんて存在しない。

 

ということで、損切り?は早い方がいいので帰りの電車に乗りながらゾゾタウンでリユースバッグを申し込んだ。目の保養に家に置いておきたい気持ちもあったけど、そういえば目の保養靴はすでに2足あるな、と思い返してその2足に匹敵するかっていうと微妙で、だったらまだ欲しい人がいるうちに売ってしまうのがよいのだと自分に言い聞かせる。ブランドに関する記事は山ほど読んだから知ってるけど、ポール・アンドリューは見た目の美しさと履き心地の良さで支持を集めるブランドなんだから。

 

憧れのブランドが自分向きじゃなかったとわかるのはとても寂しい。寂しいけど早く知ることができたのはよかったんだと思う。人生のここぞっていうとき(がどんなときかよくわからないけど)に失敗するよりは、憧れ靴というタイミングでよかった。とはいえ失敗は失敗だから落ち込んでしまうし、「この夏はまるでだめだった」みたいな思考になるから冷静に夏を振り返ってみると、、

 

今年の夏はとにかくワンピースと縁があった。夏の初めにマルティニークで買って老若男女から好評だった赤いワンピース。手術後に初めて店内に入ったトリコ・コムデギャルソンで買ったネイビーのワンピースは今夏一番の褒められ服で、見事に女子からの限定なんだけど嬉しかった。夏の終わりに久しぶりに行った伊勢丹で初めて実物を見たBeautiful Peopleのオレンジのワンピースもとても気に入っている。

 

ワンピースばかり着ていると単品コーディネート能力がすごく低下することを今年の夏に学んだんだけど、流行りのunlearning?ということにして再度新鮮な気持ちで向き合えればと思う。「今店頭で出会って買いたいお洋服か?」というのは断捨離をする上でのチェックポイントらしいので、その観点でゾゾに出すお洋服を何点か追加した。思い切って手放すんだから秋冬と、来年の夏に向けてまた素敵なお洋服や靴に出会えることを期待している。

3万円の正しい使い方

数ヶ月前から気になっていたクレドポーのル・フォンドゥタンがいよいよ発売になる。つけてるうちにものすごいスキンケア効果があるとか、お疲れ顏が一気に健康的になるとか、前評判がすごくて、っていうかお値段もすごくて、試してみるべきか否かを考え続けて発売日を迎えようとしている。

 

やっぱり高い、今使っているものを丁寧に使おう、っていう結論が出たはずなのに、ふと気づけばお洋服に関しては3万円って使うものだから、だったら毎日身につけるファンデーション(美肌効果すごい)に3万円投資するのは間違いじゃないのかも?と思い直したり。

 

先月からドイツ式フットケアサロンというのに通っている。私は足のアーチに問題があるらしく、半年くらいかけて通うと改善するのだという。足健康コースが全4回で4万円くらい。これも来月まで要検討で。

 

足のアーチに問題があって疲れやすいと言われるけど、今の私は平気で30分とか歩けるし、疲れやすいとはいえその感じに慣れちゃってるのかもしれない。それがいいことなのか悪いことなのかはわからないけど。自覚症状がないことの改善に4万円払うってどうなんだろう。施術をしてもらうと確かに足はすっきりするし血行もよくなりダルさが改善された感じはするんだけど。健康改善なのか贅沢か、線引きが難しい。

 

そもそもフットケアサロンに最初に行ったのは足の角質が気になったからなんだけど、角質に関しては「大してない。っていうか自分でケアできる範疇なのでは?」と言われてしまったので毎週自分でやらなきゃいけなくなった。

 

前回美容院に行ったとき、頭皮ケアとトリートメントをしてもらって驚くほど首肩目がすっきりしたし髪の状態もよくなった。それも追加料金。年をとるとケアすべきところは無尽蔵に増えていって、その分お金もどんどんかかるから、優先順位をつける機会が増えていく。『赤い口紅があればいい』の野宮真貴さんによると美容院は必要経費とあったからかけどころなんだろう。

 

悩ましいのがファンデーションへの投資。3000-5000円くらいで買えるものが3万円って、桁が違うけどどうなんだろう。とりあえず今回は発売後のみなさまの反応を注視させていただいて、次回の買い替えの時に検討かな、と思っている。

 

雨ばかりの東京で、気分がすっかり憂鬱になっていた。通りかかったアニエス・ベーの店頭に、赤いニットを見つけた。試着をしてみたら色もラインもとてもきれいでフィットし、買うことにした。黒いスカートと合わせたらとてもかわいかった。秋がだんだん楽しみになってきて、本当にワンピースしか着なかった2ヶ月が終わろうとしている。今回は3万円のファンデーションを導入しなくても、素敵な後半になりますように。

ミニマリストからの回復なのかな

朝起きたら左手首が激痛。朝起きたら、っていうか激痛で目が覚めた。キーボード打てるかな、っていうのが私の痛みの判断基準なんだけど、今日はかなり痛い方。確かに昔から手首はつらかったなぁ、、、。着替えとか洗顔とか小さな動きのたびに。

 

心当たりはあって、昨日10年ぶりくらいに医療レーザー脱毛の施術を受けた。脱毛は野良仕事のようで、社会人1年目くらいに両ワキ、その後大金をつぎ込んで全身脱毛をして、それでも細い毛はまだ生えてくる感じで。安いクリニックでやったからなのか、謳っていなかった通り永久ではなかったみたい。

 

10年ぶりくらいのレーザーは、驚きがいっぱいだった。冷たすぎて心臓が止まりそうになるジェルを塗られるのが一番の苦痛で、レーザー照射自体はむしろ冷たさばかりが感じられた。あと、くるくる当てる。昔はパーツごとにバシ、バシ、と当てていく感じだったと思うんだけど、広範囲にくるくると当てていってあっという間に終わる。全身で1時間ちょいで終わった。昔あった「お冷やししていきますね〜」の時間とかないから。

 

効果のほどは数週間たたなきゃわからないけど、施術の苦痛(痛みとか)は本当になくて拍子抜けした。しかも昔の1/3くらいの価格。何事も進化している。関係ないけど、最初に診察というステップがあって、院長らしき人とお話しした。院長の手がめっちゃ毛深かったことしか覚えていない。

 

昔は永遠とか永久とか絶対とか二度ととか、そういう言葉に惹かれていたから騙されてもきたんだけど、今は「10年持てばいいや」くらいのスタンスで向き合えるようになった。昔高いお金を出して全身脱毛をしたことに全く後悔はないし、20代30代を脱毛についてケアせずに過ごせたことの価値はお金では買えないと思う。

 

それはそうと手首が痛い。レーザーは全身、関節周りにも当てるわけだから刺激にならないはずがなくて、関節炎のある私にはとてもよくないことなんだと思う。お医者さんに相談したら「やめておきなさい」と言われるだろうから相談しないでやってしまった。

 

リスクをとることは必要で、施術は2ヶ月に1度だから、1日痛くてももっともっともーっと長い期間脱毛の効果を享受できるんだったらやった方がいいと思う。前向きなんだか自傷的なんだかわからない考え方。

 

膠原病を発症してから看護婦さんに褒められたことがいくつかあって、手が痛いのにネイルかわいいね、とか、かわいいレッグウォーマーを見つけたね、とか、ドライアイひどいのにまつ毛パーマしててえらいね、とか、サポーターがおしゃれだね、とか、病気なのに見た目をケアしている系のこと。これについてはいろんな意見があると思うけど、病気だからって闘病してる見た目になりたくないっていう反骨精神は特になくて、ただ単純に、体調がつらい時に見た目も荒れてるとテンションが下がるからケアしてるだけで。

 

全身の関節が痛かった頃はネイルサロンに通うのもやっとだった。行き帰りの移動はもちろん、肩が動かないからネイルの台に腕を乗せるのにもネイリストさんの助けがいった。台に乗せてからも手を広げておくのが大変だった。それでもきれいに塗られた爪を見ると自然とテンションも上がったし、心なしか手も開く気がした。その頃もずっとサポートしてくれたネイリストさんは本当に貴重で、引退などしないでほしいと心から願っている。

 

手術をしてからずっと体に負担のないワンピース✖️ビルケンシュトックを着続けていて夏が終わりそう。ワンピース(洗えるやつ)が4着あれば1ヶ月過ごせることが分かってしまった。それでも「もう4着でいい!他の服は断捨離!」とは思えなくて、心身ともに回復したら元のようにいろんなコーディネートを楽しみたいと思う。昨日は足の爪に塗っていたベージュがちょっと気分に合わなくなって薄いピンクに塗り替えた。女性誌が読みたくなった。こうやって少しずつ元気を取り戻していくんだと思う。今日で手術から1ヶ月。